2002年6月。四国・道後温泉へ

第一話 なんてこった!
 
 ANA×××便が,結局,羽田空港に到着したのは,定刻より20分遅れ。ボクは,ギリギリと歯を喰いしめた。
 特急の指定券の時間にもはやギリギリだ。
 その時,機内放送が。「バスが,皆様を到着ロビーまで皆様をお送りいたします」・・・さらにガックリしたボクは深いタメ息をついた。 今夜はよりにもよって,金曜日。休み前の,そう。メチャクチャ帰りの電車が混む日。だから指定をとっといたんだよなァ。

 シートベルトを外し,皆,立ち上がる。階段車の先は,いつもの到着ロビーではなく,飛行場のハジッコだ。バスが何台も待っている。20分も遅れちゃったものだから,いつものトコに飛行機を付けられなくなったってワケ なのさ。

バスの窓から

 バスが到着ロビーに着いたのは,さらに5分も先のことだった。それでも,ボクは,最後の最後の希望を託して,モノレール乗り場まで急 いだ。(・・・もしかしたら,事故かなにかで,特急の出発が遅れているってコトもあり得ますよね?今までも時々あったことですし。)浜松町から山手線へ。うわっ。混んでる。ようやく,特急のホームに たどり着いたのは,ボクの特急が出発して,15分後のこと。
 しょうがないや。次の特急の自由席に座ろうと,既に並んでいる列の最後尾に立った。しかし,行列は,いつにも増してグルグルとトグロを巻いており,ヤマタのオロチ みたい。こりゃ,無理かなァ。
 「プシュ〜」扉が開いた。行列は,ノロノロと車両に吸い込まれていく。ボクの順番が回ってきた時には,とっくに座席はいっぱい。自由席の車両の通路の前から人。後ろからも人。「ヒェ〜やばい!」ボクは,人をかき分けて,大慌てでホームに戻った。 電車で,何時間も立ってるよりも,次の特急を待とう。その方が賢いヨ。
 結局,さらにホームで,45分も待って,次の特急の自由席に座ることが出来た。
 ち〜か〜れ〜た〜

  我がホームタウンの隣の駅。ここからバス停へ。歩いていると,ボクを最終バスが追い越した。ボクは,足の痛みも忘れて,ヒョウのように追いかけた。間に合った!
 そして,我が家へ...やっぱり,我が家のベッドが一番さ。

 「ただいま〜。遅くなっちゃった。飛行機が遅れたんだよ」

第二話 ンギャー 
 松山空港行きのバスに,ピョンと飛び乗ったボクは,スルドイ悲鳴を上げた。労災だ!
 バスの一番前の席に座って,左足を押さえる。あわてて乗ったので,足がつっちゃったのだ・・・今まで,足の指がつったことはあったが,足自体は生まれて初めて。これは,本気で痛い。必死でふくらはぎを押さえる。ウウウ・・・足がつるって,こんなに痛いものだったのだろうか?時間が経てば直るのが分かってはいても,脂汗が出てくる。一分二分三分。少しづつ少しづつ,痛みは引いていった。ふくらはぎの筋肉をソロソロとなでる。カチカチである。
 30分ほどで,バスは松山空港に着いた。ボクは,ビッコを引きながらバスを降りる。イテテイテテ。

 まずは,職場にお土産探し。出張で旅費が出るってったって,実際は赤字になっちゃうのだが,お土産を買っていくというのは,昔からの厳密な掟である。しょーがねー。安くて軽くて数が揃っているのはないか?...足を引きずりながら,空港二階にある土産コーナーを歩き回る。ボクが痛々しい様子で足を引きづりながら歩いているのを見て,お客さん達は,気の毒そうに道を譲ってくれる。有り難きことじゃ。
 四国の名物ってなんでしょう?あんまり,これはってのがないんですよね。まずは,「安くて軽くて数が揃っている」マズそうなお土産を買う。それから,自分ち用に,一番安い「坊ちゃん団子」500円。親父に1000円のノリ。彼女の実家用には「坊ちゃん団子」のデッカイ箱。チリメンジャコの揚げものとチクワ三本(チクワとバカにするなかれ。これがビックリするほど高いのである)。それから,帰りの飛行機の中で読む本を三冊買う。 夏目漱石を読みたかったが,こんなところにあるわけもない。やむを得ん。時代小説(捕物帳)にするとしよう。

 「おれのはいった団子屋は遊廓の入口にあって、大変うまいという評判だから、温泉に行った帰りがけにちょっと食ってみた。今度は生徒にも逢わなかったから、誰(だれ)も知るまいと思って、翌日学校へ行って、一時間目の教場へはいると団子二皿(さら)七銭と書いてある。実際おれは二皿食って七銭払った。

 そして,ちと時間は早かったが,搭乗口へ。椅子に座って,本をゆっくりと読む。時々,みじめに足を引きづりながら,喫煙コーナーへ。なにせ出発の時間まで一時間もある...

修学旅行生たちでいっぱい

 だんだんと人が増えてきた。そして,修学旅行生達が,ゾロゾロ入って来た。ゲゲー。大阪行かと思ったら,東京なんだ。
 放送が流れた。「○時○分発ANA×××便は,お席が大変混雑しており,次のANA△△△便に振り替えてもよいというお客様を探しております。なお,その場合は1万円を差し上げます・・・」
 どよめきが走った。「1万円だってよ。3時間遅らすだけで。かなりの額だ」正直,ボクもグラリとした。まさに,時は金なりだ。たぶん,何人かが1万円と引き替えに協力したようだった。

 まずは,修学旅行生たちは搭乗する。次に,それ以外の客。しかし,出発が遅れている様子だ。時々,「出発までもう少々お待ちください」との機内アナウンスが流れた。
 それでも,約15分後,ANA×××便は松山空港を飛び立った。さらば,四国。短い滞在だったね。
 ボクの席は,結局,通路側で,行きも帰りも窓側にはなれなかった。仕方ない...足をさすりながら,さっき買った本を,ゆっくりと広げた。
 羽田空港まで1時間20分の旅。

第三話 松山という街は

銀天街

 とにかく自転車とバイクが驚くほど多い。歩道はどこもかしこも,こんな具合だ←
 我が故郷だったら,あっという間に警察がやってきて,自転車を撤去されちゃうだろう。でも,松山は,自転車置き場を前提としているのか,歩道が広い。そして,メイン通りの道も広く,バイクレーンもきちんと確保しているため,非常に自転車・バイクが走りやすい街となっている 。

 松山市駅を探し回るうちに,”銀天街”というショッピングモールに迷い込む。キョキョロしながら歩く。四国松山って,スマートなハンサム・美人が多いねぇ。 ボクは,生まれる場所を間違ってしまったのだろうか?銀天街のはじっこまで歩いた挙げ句,ようやく分かったのは,東と西を取り違えて歩いていたということ。まっ,いいさ。こうして 知らない街を歩きながらの人間ウォッチングも楽しいもの。Uターンして,またまた,銀天街を西に戻る。

 ようやく,松山市駅を発見す。JR松山駅と勘違いしやすいのだが,私鉄・伊予鉄道の駅である,こっちの方が生活臭があって,雰囲気が好きだ。駅前のロータリーに,路面電車の駅”松山駅前”が──いたーっ!坊ちゃん列車だ!やっと逢えたよ。

 明治21年。日本初の軽便鉄道として登場した伊予鉄道機関車。明治28年。松山中学校に英語教師として赴任したのが夏目漱石だった。彼は,その時の経験を元に,”坊ちゃん”を書く。そう・・・「停車場はすぐに知れた。切符も訳なく買った。乗り込んで見るとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。

 昭和29年まで67年間に渡って運行した小さな「マッチ箱」のような蒸気機関車も,時代の波と共に消えていった・・・ハズだったが,(よくあるように,地域活性化の起爆剤と観光資源の目玉となるのを期待されて)2001年10月になって復活しちゃったである。
 だから・・・形は昔と同じであっても,中身は似て異なるシロモノなのである。環境問題に配慮し,エンジンは,昔の蒸気機関ではなくて,最新鋭テクノロジーであるリニアモーターカー・・・ってのはウソだが,ディーゼルエンジンとなり,なんと,蒸気は模擬再現,汽笛も音色再現といったところ。
 運行は,一時間に一本くらいであり,区間は,「道後温泉駅前←(2.2km)→大街道←(1.4km)→市駅←(1.3km)→JR松山駅←(0.8km)→古町」と短い距離で,なんと,一区間で(漱石の時代の)三銭じゃなくて,千円というお高い運賃が必要となる。ただ,当日の路面電車と市内循環バスは乗り放題の上,ご乗車の方には坊っちゃん列車グッズ記念品を進呈とあるので,松山市内観光には,いいだろう。ただ,予約はかなり前からでないと,厳しいらしい。

機関車だけだよ?

駅員さんが客車を引いて来た 合体!路面電車と並んじゃった

 さ。もっと,坊ちゃん電車を見ていたいが,あまり時間はない。松山空港でお土産の時間も必要だし...と,向こうのバス停にとまったのは?・・・・あっ。松山空港行きのバスじゃ ないか!走れ!走れ!

 「汽車過ぎて 烟うづまく 若葉かな」 子規

第四話 松山城へは
 

 路面電車”大街道”駅から北へ歩いて5分くらいの”城山ロープウェイ”に乗って登るのが一般的だろうか。

 ロープウェイの乗車口は,修学旅行生達でいっぱいだった。ロープウェイは10分間隔で運行している。片道260円で券を買って,乗り場へ。しかし・・・暑い。隣は,一人乗りのリフトがグルグル回っているが,リフトにすれば良かったかなぁと,ちょっぴり後悔だ。

ロープウェイ乗車口

ロープウェイは10分間隔 涼しそうなリフト。目をこらしたがパンツは見えない

 ロープウェイに乗ったのもつかの間。2分少々でロープウェイ降車口である”長者ヶ平”へ。ここから,城の天守まで歩いて10分程度だ。松が散在する白っぽい土の上を,白い空気の中を歩く...汗がダラダラ出てくる。ボクはあんまり汗をかかない主義なのだが...

右下に料金所がある

すごい石垣じゃ 天守閣の中へ...

 美しい天守閣が次第に近くなってきた。料金所(500円)を過ぎ,石段を登る。壮大な石垣だ。そして,天守へ。ここで,ロッカーに靴を入れ,スリッパに履き替える。そして,極めて急な階段を登る。昔の城の中って,こんな急な階段が多い。お女中は,着物なんかきて,お膳とか持って,シナシナとよくも登れたものである。

 1603年。賤ケ岳七本槍で名高い加藤嘉明が築城を開始し,26年後の1627年に完成したわけだが,完成目前となって,加藤家は会津若松藩へ転封となる。この転封は松山城があまりにも堅固だったためともいわれる。その後に入ったのが,蒲生忠知だったが,世継ぎがなく,一代で断絶。1634年に松平定行が移ってから明治維新まで松山城は,親藩・松平氏の居城となったのであった──松山城は,姫路城・和歌山城と並ぶ日本三大連立式平山城のひとつとされる。

天守閣の内部

南方面を見下ろす

 いかにも城々とした内部を,狭い階段を登る。暗い。武将たちは,こんなところで生活していたのだろうか。そして,一番上の部屋へ。松山市街の東西南北を望むことが出来る。南側が,さっき登ってきたロープウェイ口だ。向こう側が,さっきやってきた,道後温泉方面だ。あそこが,海かなぁ。霞がかっていて,よく見えないや。通り抜ける風が気持ちいい...

 約10分ほどで,順路に従って階段を降りる。あまりの急な階段で,降りるのをためらっている少年がいる。途中途中の部屋に,甲冑や,全国の城の写真が飾られている。
 壁のところどころに,銃穴らしき小さな扉があった。関ヶ原後につくられたこの名城。しかし,結局,一度も使われることはなかったのだ。平和の城・・・最後に,ふと振り返ると,松山城は,一個の芸術品のように,青い空の下に浮かぶように佇んでいた。

 「松山や 秋より高き 天守閣」 子規

第五話 ババンババンバンバン
 
 あいやノンノン。

伊佐爾波神社

 でも,いい湯だった。なによりかにより,日本最古の湯に入ったと,自慢出来るのがいいではありませんか。なんてったってね。
 黄色いタオルを,みっともなく首に巻いたネクタイ姿のボクは,ちょっとだけ・・・道後温泉を散策することにする。まっ。松山と言えば,松山千春・・・じゃなかった。正岡子規だ。せっかくだから,松山市立子規記念博物館へ行ってみようか・・・しかし,館内清掃のため,閉まっておった。

 子規の写真。病気でやせ衰えた横顔の写真がよく使われる。でも,本当はちょっといたずらっ気のある瑞々しい人物だったと思う。慶応3年(1867年)松山藩士の家に子規は生まれた。子規と号した時には,すでに喀血していた。 先だって,子規は野球の殿堂入りを果たしたが,実際,子規は自分のペンネームを一時期,”野球”と書いて,ノボールと呼ばせたくらい,野球を愛していたそうだ。
 夏目漱石とは親友であり,漱石からすれば,子規が唯一の親友だったかもしれない。事実,漱石というペンネームは子規から譲られたものなのである。子規は35年という短い生涯を病床で苦しみながら終えるが,漱石は,処女作「我輩は猫である」を子規に捧げ(「有名になったことがさほどの自慢にはならぬが、墨汁一滴のうちで暗に余を激励した故人に対しては、この作を地下に寄するのが、あるいは恰好かもしれぬ。」),「坊っちゃん」で主人公の親友の山嵐を,子規をモデルとして書いた...

 閉話休題。松山は,”坊ちゃん”だらけだ。特に許せないのが”坊ちゃんスタジアム”。子規スタジアムなら,もっともだが,なぜ坊っちゃんスタジアムなんだろう?安易すぎるというか,坊ちゃんから,卒業してもいいんじゃないだろうか。

 しょうがないから,(本当は四国霊場八十八所第五十一番札所の石手寺に行きたかったが,時間がない)歩いて数分の伊佐爾波神社の急段を登って,そして降りる...ようやく,温泉の汗は引いたが,別の普通の汗が出てきた。
 道後温泉・・・本当に小さな,街(松山市)の一角にある温泉地。遠く関東に響き渡る,天下の名湯であるのに,意外の感があった。温泉地っぽい雰囲気は,5分も歩けば ,もうなくなってしまうエリアだ。
 でも──そういうのも,いいのかも知れない。山奥の秘湯ばかりが温泉じゃないさ。「ボクは,道後温泉に入ってきたんだぜ!」

第六話 路面電車の走る街

道後温泉駅

坊っちゃんカラクリ時計前にて

 ・・・松山の第一印象はそうだっただろうか。

 松山市の中心は,松山城。そして,その回りを取り囲むお堀。お堀の回りを走るのが,オレンジ色の路面電車。路面電車は,JR松山駅と松山市駅,そして道後温泉の間を走る。 路面電車の料金は150円。バスも走っているが,これは50円単位でどんどん高くなる。絶対的に路面電車の方が安いのだ。

これが・・・道後温泉本館

 改札もなにもない道後温泉の駅舎は,どことなく懐かしい。タイムスリップをした感じだ。駅を出ると,坊ちゃんカラクリ時計がある。修学旅行生達が記念写真を撮っている。からくり時計の前を過ぎ,すぐに左へ。5分ほどで道後温泉本館が・・・ウオー!見えて来た!夢にまで・・・は見なかった道後温泉本館だ!

 道後温泉は,我が国最古の温泉であり,なんど3千年の歴史を持つと言われる(アヤシイ)。神代の昔に怪我をした白鷺が傷を癒していたことから発見されたという。少彦名命を始め,聖徳太子や,小林一茶,夏目漱石。果てはみけねこなど,錚々たるメンバーが入っていることで有名である。建物は,いかにも古そうだが,明治27年に建築されたもの。神代の昔というわけにはいかないが,三層楼の風格のある建物は,国の重要文化財に指定されている。

入口へ。オンナノコの後をいく

改札口の奥は この先が脱衣所じゃ

 ボクは,喜んで手をゴシゴシこすった。まずは,正面右の料金所で入浴料を払う。道後温泉って,下の表にあるように,いろいろコースがあるのである。時間があればなァ・・・時間と,特にカネのないボクは,休憩ナシの一番安い「神の湯」300円也を選んだ。

 入口のロッカーで靴を脱いであがる。改札口のオバサンに,さっき買った券を見せる。タオルを持ってこなかった人(もちろん,ボクは持っていった)は,ここで貸しタオルと石鹸を50円で借りることが出来る。奥に進んで,左手前が男湯。もっと奥が女湯。

 脱衣所は,とても広くて,いごこちが良さそうである。平日のせいか,人影まばらだ。浴室は,東と西の二カ所あるみたい。どちらも覗いてみたが,作りは概ねいっしょ。遙々,西方に来たので,西の浴室に入ることにする。大理石の壁。石の深い浴槽。高い天井は,開放感がある。古いモダンを感じさせる。
 さてさて・・・日本最古の温泉に,チャポン・・・フム。無色無臭。カルキ臭もしない。柔らかみのある湯だ。何度入っても疲れないような・・・口が悪いボクでも,文句のつけようがなかった(ちょっと評価しすぎだろうか)。

 「おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事に極めている。ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけは立派なものだ。せっかく来たものだから毎日はいってやろうという気で、晩飯前に運動かたがた出掛(でかけ)る... 温泉は三階の新築で上等は浴衣(ゆかた)をかして、流しをつけて八銭で済む。その上に女が天目(てんもく)へ茶を載(の)せて出す。おれはいつでも上等へはいった。

 ”坊ちゃん”が泳いだとされる神の湯(住田温泉と,小説では書いている)。道後温泉本館には”坊ちゃんの間”もあるらしい。

 湯船に入っていたのは,ほんの15分くらいだっただろうか。クソー。時間がないのだ。まるっきりね。早々に脱衣所に戻る。でも,暑くてワイシャツなんか着れないのだ。セルフサービスのお茶があったので,ゴクゴク飲む。ぬるめのお茶は,五臓六腑。骨身に染み渡るわい。茶碗は洗って戻していくのがマナーなんですって。

 そして──後ろ髪を引かれる思いで,道後温泉本館を後にする。

区  分 大人 子供 営業時間 利用時間 備考
松山市道後湯之町5-6,089-921-5141 アルカリ性単純泉,46.7度





霊の湯
(たまのゆ)
3階個室 1,240円 620円 6:00〜22:00
(札止 20:40)
1時間
20分以内
浴衣・お茶・坊っちゃん団子
タオル&石けん(貸出)
2階一般席 980円 490円 6:00〜22:00
(札止 21:00)
1時間
以内
浴衣・お茶・せんべい
タオル&石けん(貸出)
神の湯
(かみのゆ)
2階 620円 310円 6:00〜22:00
(札止 21:00)
1時間
以内
浴衣・お茶・せんべい
階下 300円 120円 6:00〜23:00
(札止 22:30)
1時間
以内
 
又新殿観覧料 210円 100円 6:00〜21:30
(札止 21:00)
案内時間内

第七話 狭い飛行機の座席は
 
  隣のオジサンがうるさくて大変だった。新聞をガサガサおっぴろげて見て,スチュワーデスさんを呼びつけて,やれ,エッチな赤新聞が見たいの,のど飴くれの, ペロペロしちゃうの,大変である。

 羽田空港から1時間20分。松山空港着。空港を出ると,市内行きのバスが待っていた。ほっとする間もなく飛び乗る。
 バスの窓から見る初めての四国・・・日差しが白い。なんだろう?空気が違うような気がする。海の近くの(そんな感じがする)──明るく白い太陽。

 さあ。一泊二日の旅。どんな冒険が・・・っていっても,所詮は出張だから,とても期待は出来ないんだけど,この日差しは・・・そう。四国なんだ!

 

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