みけねこ日光(ケッコウ)隊
2001年5月26日(土)の小旅行

俺たちに明日はない!

日光杉並木。遅いトラックがジャマじゃ

 世界遺産。それはかけがえのない地球の記憶...

 早起きしたボクタチは,5時17分に我が家を出発した。天候は現在,曇。予報では暑くなるとのことだが,結構肌寒く感じられる。
 朝が早いため,行程がずいぶん捗る。1時間後には,栃木県茂木市へ。2時間後には宇都宮を抜け,日光街道を走っていた。両側には杉並木がどこまでも続く古い古い道。昔の旅人は,日差しや雨をこの杉の枝に守られながら,旅をしていったのだろう。
 そう。今回向かうのは,日光。世界に冠たる観光地であり,徳川家康が東照宮が造営して以来,徳川幕府の宗教的・政治的重要拠点として保護されてきた聖地。日光の開山は,さらに古く,8世紀に勝道上人が四本竜寺を建立したのが始まりであり,1200年の歴史を有する。日光市街地が海抜500メートル。いろは坂を登って中禅寺湖を過ぎ,奥日光の湯元が海抜約1,500メートル。非常に高低差のある細長い奇妙な地形となっている。
 そして,1999年12月。「日光の社寺」が我が国10番目の世界遺産として登録された。そう。今回の旅の目的は,そう。その世界遺産を見ようというワケ。
 8時半頃,曇り空がようやく明るくなってきた。

 杉並木が所々に点在する片側一車線の田舎道が突然広がると,もうそこは日光市街地であり,駅前を過ぎて,大谷川の橋を渡って道を左に折れるとすぐに,(東照宮や輪王寺がある)日光山を左に眺める如何にも観光地らしい景色となる。

いろはにほへと坂

 そのまま道なりに走って,15分くらいで,いろは坂へ。いろは坂は,明治初期までは,奥日光は女人牛馬禁制とされていた。「いろは坂」と呼ばれるようになたのは昭和初期頃から。ロープウェイのガイドさんが,カーブが48カ所あることから「いろは」と名付けたのが始まりと言う。さらに,昭和40年になって,第2いろは坂を作り,こちらを登り専用に。第1を下り専用にしたのである。
 クネクネした第2いろは坂は,右側が普通車両。左側がバスと二輪車専用となっている。カーブ毎に,”いろは”の順にプレートがある。しかし,きついカーブだのう・・風も震えるヘアピンカーブだ。アクセル踏んでも,車はプスプスというばかり。そうそう。ここには,サルが出没することでも有名なのである。日光のサルは(日光サル軍団でもおなじみと思うが)非常に進化していて,車に近づいてきて,「エサくだサル?」とか言って,手を出すらしい。日光市では,サルがあんまりズウズウシイので,数年前,条例でエサをやっちゃいけないことにしちゃったらしい。サルたちも,これには相当怒って,「次の選挙では見ていろ」と息巻いているらしいです...

竜頭の滝

 途中,”明神平”でトイレ休憩して,また車を走らせると,ようやく”中禅寺湖”が見えてくる。ここは,皆さんご存じのチーターこと,中善寺清子の出身地である(テキトーな案内ですからネ)。湖岸がとても眩しい。ここで休憩したかったが,そのまま先を急ぐことにして,湖畔沿いの道路をしばらく走り,そのまま湖を離れ,北へ。
 すぐに”竜頭滝”の看板が現れたので,車を停めて,休憩をかねて見物することにした。滝前の茶屋から二股に流れる滝が新緑に映えて実に美しい。滝の前には,三脚を持った素人カメラマンでいっぱいである。よしっ!ボクも(デジカメで)撮ろう...三脚を忘れて来たのが悔やまれることだ(って,そもそも三脚なんかなかったでしたっけ)。
 そして,道は見晴らしのいい平地に。ここらへんが戦場ヶ原と呼ばれるところ。中禅寺湖の領有権を巡って,赤城山の神様と男体山の神様の戦いがあったというのが名前の由来だ。赤城の神様は,大ムカデの大群を引き連れて,金精峠を越えて攻め込んだのに対し,男体の神様は,ヘビの大群で迎え撃ったとされる。どちらが勝ったかは,諸説あって分からない。
 金精道路の手前で左に,”湯ノ湖”沿いに折れると,そこが最初の目的地の”奥日光”なのだ。そう,ここが”日光湯元温泉”。時間にして,9時過ぎ頃であった。

 

誰がために鐘は鳴る?

リゾート地みたいだよ

これが泣く子も黙る”温泉寺”

湯元の源泉は湿原にあった

 湯元温泉。そう・・・それは知る人ぞ知る秘境。人知未踏のこの場所に,人知れず霊泉が湧き,それはいつしか湯元温泉と呼ばれた・・・ナンチャッテ!
 そういうイメージでやってきた奥日光湯元だったが,湯ノ湖に面したとてもおしゃれな高原のリゾートだった。澄んだ空気の中,着飾った紳士淑女たちが,そぞろ歩いておる。
 ビジターセンター前の大駐車場に車を置いたボクタチは,タオルを片手にトコトコ歩き出した。ちょっと,気取った風に。
 向かうは,”温泉寺”。ここはなんと!日帰で温泉で入れるという極めて珍しいお寺なのである。ハレルヤ〜!トコトコ歩いて10分くらい(湯元は歩いて回れるくらいの広さなのだ)で”温泉寺”に着く。ムフフ...ボクの調査によると,この”温泉寺”は,9世紀に勝道上人により発見されたもので,モチ,日光で一番古い温泉である。湯船自体は広いものではないが,庫裡で順番待ちと休憩が出来,お茶と煎餅のサービスあり!だそうなのである。ご奉納(料金のことだが,お寺ですからね)は,たったの500円!ぬぬっ。女房子供を質に入れても,是非入らねばなるまい!
 ボクタチは,まずは,敬虔に十字を切って,庫裡に入ろうとすると・・・オー!マイガー。看板に「午前10時より」と書いているではないか。今は9時過ぎ。今日は日帰りで後の予定もあるし,そんなにゆっくり出来ないよ〜
 あきらめたボクタチは,温泉寺の東にある源泉を見に行くことにした。直線で行けばすぐなのだが,寺と源泉との間に小さな小さな湿地帯”湯ノ平湿原”が横たわり,それを結ぶ木橋が工事中だったので,南から旅館街の通りを大回りをする。源泉に行くと,湿原からボコッボコッと高温の硫黄泉が出ているのだ。クンクンクン。いいニオイ!すごいなァ。本当に,ジベタから源泉がポコポコ出ている。1,000mも1,500mも掘削して,ようやく水みたいな温泉(実はやっぱり水)がチョッピリ出る,最近の日帰温泉施設とは,なんと違うことであろうか。

おしゃれな湯元温泉観光センター

その裏に,はるにれの湯はあった

 温泉寺に入れなかったのは,いささか残念だったが,ボクにはもうひとつ考えがあった。さっきの道を少し戻ったところに,”はるにれの湯”という共同浴場があるのだ。まあ,ここも有名な老舗じゃけん。この豪華共同浴場で我慢しよっと。
 入口が”湯元温泉観光センター”なるものであり,このぞっとする建物に入って,暗〜い古ぼけたレジにいるオジサンに一人500円を払う。「レンタルスキーコーナーの奥が温泉です」
 オジサンの案内にしたがって,錆びたスキー板の列の奥に向かう。一度裏口から出ると,目の前の建物が”はるにれの湯”だった。ムム。ここもまた,結構行っちゃってるゾ・・・。ボクはホクホク喜んだが,彼女は顔をしかめているようだ。
 無断入浴禁止の看板があったので,お金を払わないで勝手に入っちゃう人もいるみたいだ(しまった!)。確かにこりゃ,ロハで入れますぞ。建物の右裏手には,イヌが3匹いるみたいだ。少なくとも二匹はお昼寝をしていた。「あぶないから入らないで下さい」と黒ヒョウマークの看板がある。おもしろ〜い。なんか入りたくてムズムズするなぁ。

ここ脱衣場。あのパンツはボクの

女湯には,つい立てがある。

男湯じゃ。オェオェオェ〜

 ガラガラガラ!扉を開けると,ウフーンとぬぎぬぎしている太った青年の裸体が目に入った。あわてて目をそらす。ボクは美しいものを見るのは好きなのだが・・・。
 向こうから彼女の声がした。「こっちはガラガラよ〜。写真撮ったげる?」「ウン。頼むよ」と下駄箱の上の隙間から彼女にカメラを渡した。彼女は,ボクが湯船を写真をいつも撮りたがっているのをよ〜く知っているのである。
 服をササッと脱いで(太った青年はノタノタまだ脱いでいた)浴室に入ると,岩風呂風の浴槽に硫黄泉が。じゅるる〜。ウマソー!(ガラスのない)窓の外はそのまま外気であり,露天の風がある。湯の名前の元となった,はるにれの木が実にすがすがしい。確かに古いには古い建物ではあるが,それなりに掃除とか行き届いていると思う。
 野郎共4人くらい入っていたが,ボクがウットリしているうちに,みんな出てしまった。例の青年までも...む?ボク,30分も入っていなかったハズだが,そんなに早く出ちゃうなんて,なんて,もったいないことだろうか。脱衣所に戻って,「ウオー」と叫ぶと,(やはり脱衣所にいた)彼女が,カメラをスキマから返してくれたので,男湯も写真を撮ることが出来た。ラッキートコトコ戻ったのであった。

はるにれの湯 栃木県日光市湯元1068
0288-62-2156
含硫黄-ナトリウム・カルシウム-硫酸塩・炭化水素塩泉(硫化水素型),69.6度 7:00〜19:00(12-4月:〜18:00) 500円

 

戦場に架ける橋

貸しボート乗り場より中禅寺湖を眺む

振り返って,男体山

 プンプン硫黄くさくなったボクタチは,また車に乗り込み,日光中心部に向かって,来た道を戻りだした。途中,戦場ヶ原の手前で道を左に曲がることにする。なんでも,彼女によると,終点の”光徳牧場”のアイスは,バカウマらしい。なるほど,牧場では,入口のアイス売り場に,群衆がアリンコみたいにむらがって,アイスをペロペロ舐めておった。フーン。結論としては,中の上くらいの味であったと思う。まあ,ボクタチって,普段からうまいアイスを食べ慣れているからね〜
 アイスを食べ終わったボクタチは,さっきの道まで戻って,”中禅寺湖”へ。”二荒山神社中宮”前の駐車場に車を停めた。トレンディなボクタチは,ちょっと湖畔を散策するのである。歩いてすぐのところにある貸しボート乗り場周辺は,とても綺麗に整備されていた。昔は,もっとゴミゴミしていたような気がするのだが...通る人も少ない。日光って,妙なところに人がワサワサ湧いていたり,ガラ〜ンとしていたりして,不思議なのだ。
 ボクタチの見た中禅寺湖は,風があって,湖面が揺れていた。振り返れば,雄壮な男体山。湖畔の通り沿いには,土産物屋さんがズラーと並んでいるが,お店の人は,実にヒマそうに,ボクタチのことを熱い目つきで凝視している。こりゃ,うっかり入ったら,身ぐるみ剥がされそうだ。

緑の道を歩く・・・

 また車に乗って,”中禅寺湖”を時計回りに(少しだけ)反対側へ。車を道端に停めると,湖畔の道をトコトコ歩き出した・・・
 道端には,大きくなった”こごみ”がアチコチに生えている。中禅寺湖のこちら側は,外国の大使館の別荘があるゾーン。この市道も入口にゲートがあって,関係者の車しか入れないのだ。ヤッポン人が「ここに住みたいだ。オラ」と言ってもダメ。
 しばらく歩くと,イギリス大使館別荘が見えてきた。使用人のものらしき小屋が隣に建っている。洗濯物や子供の自転車・・・いいな〜。ボクは,どっか外国の大使の使用人になりたかった。こんなイイトコ住めるし,大使だって,そう年がら年中来ないだろうから,のんびり過ごせるってモンである。食事だって,大使の残したフォアグラとか食べられるんだよ。きっと。いささか,職業選択を誤ったのう・・・。
 そう。7・8分も歩いただろうか。緑の木々の中に”イタリア大使館別邸記念公園”はあった。湖畔に向かって,まず(超立派な)公衆トイレ,国際避暑地歴史館,そして,湖畔に面した本館があった。ここは,本当に平成9年までイタリア大使が使っていたところ。本国の経済危機で,ついにこの別荘をヤッポンに売っぱらっちゃったのである。今は,観光施設として,県が管理しているのだ。イタリア大使はさぞ無念だったことだろうと思う。新緑の木立の中の本館の姿は,一枚の絵のようだった。

イタリア大使館別荘の中

窓からは,こんな景色が

 入口で,靴をぬいで本館に入る。この建物の維持のため,寄付金100円を入れる箱があり,ボクタチは,ポロンポロンと硬貨を入れた。背広を着た館長らしきオジサンがいて,「今日は,特別に抹茶のサービスがありますよ〜」と声をかけてくれた。
 二階建てで,決して大きくない建物だが,壁に杉の皮を使っており,実に涼しそう。館長は,窓際に並んでいるソファーに案内してくれた。なんか,ボクタチ。重要人物になったみたい...オホン!なんと言うか,隠しても隠しきれない気品がボクタチの内面からにじみ出ているのであろうか。困ったものだ・・・お忍びの旅行で来たって言うのに(ナンチャッテ)。
 キモノを来た女の人が,上品な和紙の上に上品な砂糖菓子を上品なボクタチのところに持って来てくれた。そして,キモノ軍団のボスらしき女の人が来て,「今日は,ボランティアで抹茶のサービスをしております」を抹茶と共に説明。嬉しいナ〜。やっぱり地道に生きていると,たまにはイイコトあるんですね?
 ソファーに座って見る窓の外の”中禅寺湖”はとても美しい。中禅寺湖の向こう側の観光ゾーンは,小さな半島の影に隠れて,こちらから見えない。そして,ゆっくりと時間は流れていった。
 外に出て,湖畔を歩く・・・ここは,本当にいいところ。10時45分くらいだろうか。ボクタチが後ろ髪を引かれる思いで,ここを後にしたのは。

 

地球の記憶

 ボクタチは,快調に”いろは坂”を下りだした。ボクタチの車って,登るのはニガテなのだが,降りるのってすっごく得意なのだ。ジェットコースターみたいに降りていったボクタチの車だったが,すぐにノロノロ運転になってしまった。前が詰まっている。クッソオッソ〜イ。どうも,観光バスが先頭を走っているらしい。一車線でも,二車線分の広さのある第1いろは坂なのだが,バスでは,切り返しが必要な急カーブが多いから。残念ながら,帰り道も日光サル軍団には出会えなかった。さては地方巡業にでも行っちゃったのかなぁ?
 ・・・そして,日光市内へ。”神橋”のところを右折したところに,かの老舗で超有名な”金谷ホテル”がある。その登り口の手前に”みよし”というステーキハウスがあった。

東照宮へ

 ここは,去年,出張で日光に来た時,ふらりと入って,1,500円のハンバーグを食べたのだが,これがとても美味しかった。その時,ボクの斜め前に座った女の子が注文したのが,超ドでかいリブ・ロース。「わたし,ダイエットしてるの」と言いながら,彼女は実にウマそうに食べていた。その子は,すごい勢いでニク部分を囓りとると,サメのような舌で骨までペロペロなめていたっけ。この調子なら,骨を割って,骨髄まで啜るんじゃないかと思って見ていたが,さすがにそこまではしなかった。是非,また来て,リブ・ロースなるものに挑戦したいと思っていたのである。
 さて,席に着いたボクタチ。彼女は,(ボクのオススメで)ハンバーグを,ボクはもちろん,リブ・ロースを注文した。ボクタチは,別な物を注文して,半分コするのが決まりなのである。ボクの目の前に来たリブ・ロースの塊二つは,記憶にあったより相当でかかった。白状すると,ボクはリブ・ロースって食べたことがない。田舎にゃ,こんな高雅な食べ物はないのである。それぞれ,二人で半分コして,よし。パクリ!・・・むっむーん。固くて,脂っこいブタニクや〜!ワテの口の中が,あっと言う間にベタベタになりおった。オエー。かくして,ボクは,死ぬ思いでリブ・ロース一切れをなんとか食べたのであった。それでも,残念ながら,脂身のトコロは残しちゃった。口直しに,彼女からぶん取ったハンバーグ半分を食べて,なんとか人心地が着いたのであった。ふ〜。もう,リブ・ロースは一生食べなくてもいいや。

 さて,最後に向かったのは,日光観光の最大のハイライトとされる”東照宮”。ここに,前来たのは,ボクが中学生の頃だったはず・・・修学旅行か何かだ。確か,レッツゴー三匹サルとか,居眠りネコとかいるんだよね〜。知ってます?
 手前の市営駐車場に車を置いて,ボクタチは歩き出した。なんてったって,世界遺産。駐車料金の500円くらい,格安ってもんですヨ。しかし,東照宮に近い駐車場の料金は,300円だった。ガックリ。普通は・・・(1)観光地より遠いほど安くなる(2)民営より市営の方が安い・・・ってハズなのに。
 階段の登り口に,世界遺産のマークが燦然と輝いている。”輪王寺”を経由して,”東照宮”への広い広い参道を歩き出す。しかーし。かかーし。ボクタチは,知らなかった。世界遺産の奥の深さを。ここ,拝観料1,300円もするんです。二人で2,600円。顔を見合わせて相談するボクタチ。「世界遺産だから,料金も世界的だ。どうする?」「思い切って入る?」「やめよう」しょんぼりと,ボクタチは来た道を戻りだした。せめて,300円くらいだったらなあ・・・。歩きながら,ちょうど,道沿いにあったレストラン”明治の館”に寄る。ここは,超高級レストランであり,ボクタチが入れるようなところではない。入口は順番を待っている人でいっぱい。ここに寄った理由は,ここの”ニルヴァーナ”というチーズケーキが,文句なし!世界一うまいのである。お値段も,小さいやつで1,500円と張るが,まあ,東照宮の拝観料を使わないで済んだし,いいとしよう。

 そして,午後2時半。さ。帰ろう・・・こうして,ボクタチの”みけねこ日光(ケッコウ)隊”の短い短い冒険はお仕舞い。ずいぶんあわただしかったけど,日帰りにしては,ケッコウ充実だった。次に来るときは,是非サルを見たいなァ。

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