栃木県の温泉!

茶臼岳に登る


塩原町
大出館 栃木県那須郡塩原町湯本塩原102 0287-32-2438 旅館(日帰可)  
炭酸泉(含硫黄・ナトリウム・炭酸水素塩・塩化物泉か?),49度 内6(混浴5),露天2(混浴1,家族風呂1) 10:00〜14:00(日帰利用) 600円

 箒川に沿って続く国道400号線沿いにある塩原温泉郷。元湯温泉は,塩原温泉郷の賑わいを遙かに過ぎ,どこにでもありそうな田舎の道 の雰囲気の国道の先。上塩原の「元湯」とかかれた小さな標識を目印に,左手の山道へ折れてみよう...
(右図の左下端が元湯温泉)

 “塩原十一湯”。それは,「大網温泉」「福渡温泉」「塩釜温泉」「塩の湯温泉」「畑下温泉」「門前温泉」「古町温泉」「上塩原温泉」「中塩原温泉」「新湯温泉」「元湯温泉」 の十一湯である。

 元湯温泉は,その塩原十一湯の中でも,最も古い温泉。平安時代である大同元年(八〇六年)に如葛仙という人物によって湯本(現在の元湯温泉)に温泉が発見されたのがその始まり とされる。温泉は,現在のような医学が発達していない時代にあっては,”湯治”という,病気や怪我の治療法として,極めて重要なものであった。
 箒川の源流のひとつである赤川沿いある湯本村は,次第に湯治場として有名となり,江戸時代初期(宇都宮藩)においては,八十五軒の集落となり,うち,宿屋(旅籠屋)は数十軒 存在した。そして,村の前後の入口には木戸を設け,多くの湯治客が訪れ,その繁栄ぶりは,「湯本千軒」と称されたのである。
 ところが,万治二年(一六五九年)二月末日。大地震による山津波は,湯本村を壊滅させた。なんとか湯本村を復旧しようとした宇都宮藩も,あまりの被害の甚大さに,ついに復旧を断念せざるを得なかった。
 温泉神社は,新湯へ。十六戸が,新湯温泉へ移住し,六十戸余は,下塩原村などへ移住す・・・そんな風に古文書は伝える。そして,塩原温泉の中心は,下塩原村などのあった国道400号線沿いの,今 現在の塩原温泉郷に移っていったのである。

元湯古地図
赤川が集落の下を流れる。左上には,温泉大権現。右と左には木戸がある。
湯本村の集落の中央部に6つの湯が並び,黒く書かれた場所が,現在の大出館。

 

ここから左へ下る

大出館。日本秘湯の会の提灯が

フロント。お尻が見える女の子

 ──その山道は,確かにクネクネとアップダウンをしているが,なんとか対向車とすれ違えるだけの幅はある。秘湯慣れ?したボクタチには,ちょろいものなのだ。
 やがて,山道は二手に分かれ,左手の降りる方の道が”元泉館”と”ゑびすや”へ。そして,右手の登る方の道が”大出館”へ向かう道だ。このたった三軒の宿が,「湯本千軒」と称された元湯で, 現在ある宿なのである。

 ボクタチは,右手の道(つまり,大出館)を選んだ。急に道幅が狭くなってくる・・・やがて,山道は突き当たり,「大出館」と書かれた小さな看板が現れた。車の窓を開けると,硫黄のニオイがプンプンする。 そして,看板の左手の急な坂道を下ると,5・6台くらいなら,とめられそうな駐車場。その下に大出館の建物はあった。

 トコトコと玄関へ。おなじみ,”日本秘湯を守る会”のチョウチンがブラーンとぶらさがっている。「いらっしゃいませ〜」との声に誘われて,小さなフロントへ向かう。(秘湯だからと思っていたよりずっと)立派なフロントである。ちゃんと,お土産コーナーも完備 してるのだ。フロントで,一人600円の入浴料を払って,一階へ(ここ,フロント階は三階なのである)。

五色の湯ですってよ。おくさん

 期待がふくらむなぁ。なぜ,わざわざ,2時間半強もかけて,こんな山奥まで来たのかって?もちろん,混浴がボクを呼んだのだ。「なぜ,混浴に入るのか?」「そこに混浴が あるからだ」と,イギリスの登山家ジョージ・マロリー・・・じゃなかった,ヤッポンの混浴家ミケノビッチも,そう答えていると聞く。嗚呼。ふしだらなる背徳の温泉。塩原元湯よ 。
 一階廊下の突き当たりには,”五色の湯”ののれんが見えてくる。五色温泉などという名前は,結構,各地にザラにあるのだが,これは,時間の経過や,天候,季節によって,お湯の色が変化すると いう意味らしい。
 ここ,大出館の各浴室は,非常に複雑な作りをしている。さて,言葉で説明出来ますものか...

ア.左手一番手前:家族風呂”藤の湯”(内湯)
イ.左手二番目奥:混浴風呂”平家かくれの湯”と”御所の湯”(共に内湯だが,中で仕切られているだけであり,
  殆ど同じ湯船),”岩の湯”(露天)
ウ.左手三番目奥:女風呂”高尾の湯”(内湯),”子宝の湯”(露天)
エ.まっすぐ突当り:混浴風呂”墨の湯”と”鹿の湯”(共に露天)

 と,8つも湯船があるってワケ。ア〜エの各浴室は,一度,通路に出ないと行き来が出来ないという仕組となっている。 もちろん,わざわざ着替えるなんて,無駄なことはしないで,ブラブラ?とハダカで歩いてっちゃうのだ。

墨の湯の脱衣所

左が”鹿の湯”。右が”墨の湯”

 まず,ボクタチは,(イ)の御所の湯を覗いてみた。オジサンが一人入っているようだ。それをみた彼女はためらっている様子。次に,(エ)の墨の湯を覗く。コチラには, 野郎ばかり五人も入っておった。彼女は,ますますためらった。
 結局,とりあえず,ボクは(イ)へ,彼女は(ウ)の女風呂へ。やっぱり,脱衣所は,女湯で脱いだ方が,女性にとって気分的にラクというものですものね。
 そして,声をかけあって,ボクタチは,タオルを巻いた姿で廊下をトコトコと,(エ)の墨の湯へ!ジャジャーン!

 中には,オジサンが三人,そして,いつの間にか,オバサン(50くらいのスナックのママ風)がひとり入っていた。ボクは,横目でチラリとオバサンを見て,混浴温泉って,結局,こんなものさ・・・と (いつもながら),ため息をついたのである。なかなか,若い女子大生とかOLとかには出会えないものだなァ。

タオルが黒くなっちゃった

 ここの内風呂には,浴槽が二つあり,乳白色のが”鹿の湯”。黒いのが”墨の湯”。”鹿の湯”の泉質も,硫黄っぽくていいのだが,やはり注目すべきは,”墨の湯”。書いて字の如く,本当に墨を流したように黒いのである。そう・・・元湯三湯の宿のうち, ボクタチが,今回,この大出館を選んだ理由は,この黒い温泉にある。
 さっそく,期待の”墨の湯”へチャポン。うわー。湯を手ですくうと,本当に水で薄めた墨汁のようである。手を入れて,外に出すと,両腕のウブゲに黒い点々(粒子)がついてきて,キモイー。タオルまでもが,見事に黒くなっちゃった。クリーニング代よこせっ!
 黒湯と呼ばれる温泉は,日本各地にいっぱいあるだろう。しかし,黒湯と呼ばれる温泉って,ホントは,わずかに赤みがかっているんですよね〜。泉質には,鉄(酸化鉄)がまじって ,こうなるわけなのだが,一般に酸化鉄は酸化第二鉄(赤錆)の場合が殆どで,酸化第一鉄(黒錆)というのは,極めて珍しいのだ。
 さらに,鹿の湯にも入ってみる。コチラは,結構熱め。やはり,やわらかい感じがする,非常にいい温泉である。でも,墨の湯と比べちゃうとなぁ。ちなみに,全ての湯船の湯の噴き出し口には,飲泉用のコップが置いてあった。さすがは,塩原温泉の元祖 なのだ。最近のレジオネラ入り日帰温泉施設なんかとは,月とスッポンと言うべきであろう...
 悩んだのが泉質。宿のパンフには,炭酸泉とあるそうだが...この硫黄の薫り。この肌触り。この喉ごし。真実は,含硫黄・ナトリウム・炭酸水素塩・塩化物泉といったところだろうか。

”平家かくれの湯”と”御所の湯”

その外は”岩の湯”

岩の湯から見下ろす景色

 ゆったりと,墨の湯を堪能したボクタチ。後は,のんびり入ろうと,ボクは,混浴の(イ)”御所の湯”へ。彼女は,(ウ)女風呂へと分かれる。まあ,混浴っていっても,男ばかり しかいませんでしたけど。
 ここの内湯は,一応,ふたつの湯船の名前(手前が”平家かくれの湯”,奥が”御所の湯”)がついているものの,さきほどの”鹿の湯”と同じ泉質だと思われた。

 ここの内風呂から,サッシを開けて,階段を下りると,混浴露天”岩の湯”。ここも,ほのかな硫黄のニオイが実に心地よい。露天のヘリに立って,下を見下ろすと,立派な旅館が見え る。 手前の大きい方が,”元泉館”。その向こうにやや小さく並んでいるのが,”ゑびすや”だ。
 前述のとおり,ここ,元湯の「湯本千軒」のうち,残ったのが,この三軒だけ。”ゑびすや”は,古来から残る”梶原の湯”を守る。山津波で,当時七カ所湧出していた源泉のうち,六ヶ所 は失われてしまったが,その時,北端に湧出していた”梶原の湯”だけが残ったのだという。”元泉館”は,三軒の宿のうち,最も規模が大きく,新しくて綺麗で,万人にお勧めできる宿。ただし,日帰り入浴できる”高尾の湯”は男女別であり,宿泊しないと,味わい深い混浴風呂に入ることは出来ないよう,差別化を図っている のだろう。

 ボクは,早めに着替えて,廊下へ。日帰り入浴にやってきた女性達は,次々と,墨の湯の脱衣所を覗いて,あきらめて,女風呂へ入っていく。なんと,もったいないことだろう!男は,混浴の湯にしか入ることは出来ないが,女性は,全ての湯に入れるハズなのに...このシステムは, ボクにとっては,女尊男卑ではないかと思えるくらいなのに,女性は,混浴風呂になぜ入らないのでしょうか? でも,想像するに,醜いモノを見たくないと気持ちがそうさせるのであろう。ボクだって,別にあんなの見たくないですものね。

 そして,出てきた彼女といっしょに,フロント階に戻って外へ出る。駐車場は,さらに車がいっぱいであった。
 出発前に,まわりを見渡す...静かだ。緑と山と急坂。下方にポツンと大出館がある。ボクは,江戸の昔の賑わいを思い浮かべようとしたが, 山津波で,地形も全然変わってしまったのだろうし──まったく想像も出来なかった。(02.9.15)