2001年3月 −佐賀〜博多の旅−

プロローグ

 そして,飛行機はぷるぷるっと震え,飛び立った!遙けき九州は福岡の地へ!国内線の飛行機に乗るのは何年ぶりだろうか?本当に久しぶりだ...

博多のホテルにて(最終日)〜エンディングへ

 目がさめる。なんだか眠り足りない気分。時計を見ると・・・6時半だ。目覚まし時計を7時にかけておいたのに,ひとりでに目が覚めてしまった。家では決してないことだが,旅先だと緊張感がそうさせるのだろうか。そう。今日が旅行の最終日。帰る日なのだ。回らない頭で一生懸命考える。夕べ,結構飲んじゃったんだ。ボクは飲み過ぎると最初は眠くなるのだが,夜は眠れなくなる悪いクセがあるんだよね。
 15分くらい布団の中でゴソゴソしていたが,ようやく起き出してホテル1階にある大浴場に行くことにする。ここ福岡の”八百治博多ホテル”は,ビジネスホテルながら,実は温泉があるのである。だからこそ,選んだんですけどね。浴室に行くと,5・6人くらいビジネスマンらしき若者〜中年のオシリが並んでいた。3月のシーズンオフの平日だから,観光客が泊まるはずもなし。年齢層も若いのだ。湯船につかる。ふ〜。眠〜い。血液が脳にようやく到着。パチリ!目がさめたぞ。目がさめついでに,頭もゴシゴシ洗っちゃおっと。朝シャンをするなんて,ボクも今風の若者みたいですよね?ムフフ
 そして,ホテルのレストランで,現ナマで900円払って朝食バイキング。あんまりバイキングの種類がないのがくやしいので,せめてオレンジジュースと牛乳とコーヒーをグビグビ飲んでしまった。
 9時45分。ホテル発。今日は,仕事で1カ所寄るだけだから,時間が余裕なのである。博多駅まで徒歩5分。そこから地下鉄でまた天神に向かう...

 

佐賀の夜(到着日)

佐賀ニューロイアルホテル。まあまあでしょ?

 17時半頃,いささか疲れた状態で,今夜のホテル”佐賀ニューロイアルホテル”に到着。
 朝7時に家を出て,福岡空港から博多駅へ。そこで大急ぎでお昼(やっぱり博多ラーメン)を食べて,長崎本線の特急ハウステンボス号で佐賀まで約35分。指定と取ってあった列車より1本速い特急の自由席でやってきて,仕事を済ませたのだ。仕事って,こんな風にいつも前倒しで出来るといいのだが。
 このホテルは佐賀駅の北へ歩いて約5分くらいの場所にある。1泊素泊で5千円なので,どんなボロッチイあばら屋かと心配だったのだが,結構綺麗で大きなホテルだった。チェックインすると,フロントのお姉さんが明朝の朝食が5百円だというので,ついでに頼んでおくことにする。ボクの部屋は3階。ソファーもあるし,結構広めのシングルルームである。フンフン。気に入っちゃった。
 18時にユウゴハンを食べに街に出かけることにする。フロントで”盛り場”について聞くと,ホテルを出て,左に行って,最初の信号を右に曲がって15分くらい歩くんですって。外に出るとまだ明るい。九州は関東より30分くらい日が長いような感じがする。住宅街とビジネス街をミックスしたような道をトコトコ歩き出したが,あんまり人が歩いていない。出会うは自転車の女子高生と徒歩の女子中学生ばかり。いつの間にか線路の下をくぐって駅を通り越してしまった。盛り場とやらはどこじゃ?20分くらい歩いて,向こうにグルグルネオンが見えてきた。あそこらへんかなあ?もしかして,出張サラリーマン大好きのス○リップ劇場ってやつかな。ムフフ。しかし近づいてよく見たら,ただのパチンコ屋だった。結局,佐賀駅の南口まで戻って,やっとこ1軒メッケた居酒屋に入る。そこで2時間くらいいて,帰りにラーメン(醤油ラーメン)をパクパク食べてホテルに戻った。今夜はよく眠れそうだ...

 

二日市温泉

 この日,ボクはこだわりを持っていた。なんとしても二日市温泉に行きたいのである。普通の人は吉野ヶ里遺跡やら,有田やら唐津。はたまたハウステンボスに行きたいと言うであろう。しかしここがボクの余人といささか違うところ。
 ボクが前もってインターネットでいろいろ調べた結果,行程と空き時間の関係で,なんとか途中下車で温泉に入るのが可能なのは,万葉の昔から知られる九州最古の湯・二日市温泉だけであった。この二日市温泉は,大昔は”次田の湯”と呼ばれ,その後,”武蔵温泉”とも呼ばれたと言う。
 「湯の原に泣く蘆鶴はわがごとく妹に恋ふれや時わかず鳴く」と,大伴旅人が湯浴みした際,鶴の鳴く声に亡き愛妻を偲んで詠んだ一首で知られる。また,夏目漱石にも愛されたと言われる温泉だ。さて皆さん。ここまで聞けば,誰だって行きたくてウズウズして来ますよね?

JR二日市駅前

しばらく歩くと鳥居があった

 ボクのたてたスーパー計画では,鈍行で,佐賀駅から鳥栖を経由して,JR二日市駅で降りる。ここで西に歩いて約10分のところにある共同浴場に10分程浸かって,またJR二日市駅まで戻り,東に広がる商店街の道を今度は西鉄二日市駅まで徒歩10分の距離を歩く。西鉄二日市駅から太宰府までは電車で5分くらいなので,そこでちょっぴり太宰府に参拝して,西鉄で福岡市の天神まで直通で行こうってワケなのだ。天神に用事があるので,ちょうどバッチリなのである。
 JR二日市駅を東に出ると,なんともローカルな風情が広がっている。思ったより観光地の風はまったくない。線路沿いに北に歩いて駅の西側に回り込む形で歩くことになる。トコトコ歩いていくと,狭い道で本当にこの先に温泉があるのかと不思議な気分になってくる。鳥居をくぐってすぐ,広い通りに行き当たった。そして左に折れ,しばし歩くと左側に”御前湯”。道を挟んで反対側に”博多湯”が見えた。ボクはすっかり嬉しくなって両手をこすり合わせる。聞くところによると,昔はここに川が流れていて,その両脇に湯が沸き出でていたとか。

豪華な御前湯。スゲーのう

ボロッチイ博多湯

 時間的に,どちらか片方しか入れないのが実に残念なことである。普段なら,絶対二カ所とも入っただろうに。”御前湯”は,秀吉の軍師・黒田官兵衛の一子黒田長政公(福岡藩主)縁の古湯であり,筑紫野市営福祉センターとして生まれ変わった真新しい感じの綺麗な市営の施設。200円という入湯料もなかなかのものである。
 一方,”博多湯”は,建物が如何にも古めかしい(昭和33年?)が,個人(地元の不動産屋さん)経営の共同浴場であり,100円(なんと)の入湯料は赤字だが,地域のために頑張ってなんとか再三度外視で経営しているらしい。しかも,”御前湯”は新しく広げたため,源泉を水で薄めて循環している疑いが濃厚らしい...ここまで書けば,ボクがどちらを選んだかは瞭然であろう。

めずらしい番台?

脱衣所。右下階段より浴室へ

 かくして,ためらいなく博多湯に入る。ガラガラガラッ!
 うおお!遊園地の入口などによくある,鉄の棒があって,ここで100円いれて,ガチャンと入る仕組みになっているのだ。これは,初めて見た。番台のバアちゃんがこっちをジロジロ見てる。よしきたっ。入るぞっ。「ガチャン」
 ロッカーに靴を放り込んで,上半分がガラス張りの引き戸を開けると,そこはもう脱衣所。ジイサマが二人くらい服を着たり脱いだりしている。ボクも服を脱ごうと...背広って脱ぐのが大変ですね。こんなトコ,背広で来る人って,さぞ珍しいんじゃないだろうか。ネクタイとしばし格闘した後,脱衣所から続く階段を下りて浴室へ。意外に浴室は広かった。天井が非常に高く,丸い湯船一つと四角い湯船が二つ。それぞれ湯の温度が異なる。シャンプーどころか,カランも椅子さえない。お年寄りが4人ほどいて,湯に入ったり,床にペタリと座っていたり・・・この光景は,昔から,そう,昔から続いてきたのであろう。
 お年寄りが4人ほどいる。湯に入ると・・・ふ〜。いい。たぶん,今。この瞬間がこの旅のハイライトだろう・・・無色透明。だが,単純放射能泉だ。写真を撮りたかったが,撮れなかったのが非常に残念である。約10分程で,後ろ髪を引かれる思いで外に出る。わずかな時間しか入れなかったのに汗だくである。そして,大急ぎでJR二日市駅まで半分走りながら戻ったのであった。
博多湯 福岡県筑紫野市
029-922-2119
単純放射能泉,46度 内3 9:00〜21:00 100円(洗髪料100円)

 

太宰府天満宮

 JR二日市駅まで戻り,(ちょっとダケ)古びた観光案内所を覗くと,リュックをしょった青年が「日帰りで入れる温泉はありますか」と案内所のオネーサンに聞いていた。オネーサンは,「御前湯がありますわ」(そりゃあ,あっちは市営ですからね)と御前湯のパンフと地図を渡していたので,がめついボクも,ついでに「くださいナ〜」ともらってしまった。カウンターには,ここ,JR二日市駅から西鉄二日市駅までの手書きの歩き方マップまで置いてあった。結構,道を聞いて歩く人も多いのだろう。
 そして,西鉄二日市駅まで元気良く歩き出そうとしたボクの目に入ったのはタクシー乗り場だった。ナニナニ?太宰府天満宮まで15分。1,230円ですって?いつもなら,決してしないことであるが,中央商店街を心楽しく闊歩する代わりにタクシーに乗ってしまったのであった。

天満宮への参道

この写真。教科書で見たよ〜

梅だ。じゅるる〜

 太宰府は,天智3年(664年)。朝廷によって九州の総督府として置かれて以来,600年に渡って栄えた政庁である。この旅においては,残念ながら時間の都合で,天満宮だけをざっと見ることにした。タクシーを降りると,そこは表参道口であった。右を見ると,西鉄太宰府駅がある。思ったより人が少ないなあ...
 参道両側の土産物屋さんの買え買え攻勢を無視してトコトコ歩く。九州の観光地お店の人って呼び込みに実に熱心である。それに比べて,ウチの田舎の観光地のお店の実にやる気のないこと。税金を納めるのがメンドクサイから,売れない方がいいと考えているとしか思えん...
 参道は左に折れ,緑の池”心字池”の上を渡す”太鼓橋”へ続く。そして,橋を渡ると,あの写真で見た太宰府天満宮が現れた!ここは,全国12,000社にものぼる天満宮の総本社。祭神はモチロン学問の神様,みけねこ・・・じゃ全然なかった,菅原道真公である。承和12年(845年)に生まれた道真は,学問に長け,右大臣にまで出世するが,藤原氏に憎まれた彼は太宰府に左遷されてしまう。世をはかなんだ彼は2年後に死んでしまうが,その後,ツタンカーメンの呪いのように,都でいろいろ不幸が起きたので,「八墓村じゃなかった。道真公のたたりじゃ〜」と思った朝廷は,正位太政大臣の位を贈り,道真公を慰めたという。
 ここで有名なのは”飛び梅”。左遷された道真を慕って,一夜にして京都からブーンと飛んできたという常識のない梅・・・どれがその梅かよく見ておけば良かったのだが,ついついその時は忘れてしまったのだ。
 せめて人並みくらいに頭が良くなるように祈った後,せっかくなのでおみくじ(50円)を引いて(吉でした),おまもりを買って,サクサクと西鉄太宰府駅まで戻ったのであった。さあ。博多に戻るぞ!

 

博多の街の小さな冒険

天神バスターミナル

 この日,この時間,天神で時間を持て余したボクは,福岡三越のエスカレーターに乗っかっていた。三越の3階部分は,不思議なことに西鉄の天神バスセンターなのだ。そう。市内観光のバスに乗ろうってワケ。時間を持て余していると言ってもそんなには時間はないから,センターの受付で,3時間半の”博多の街コース”のチケット(2,400円)を買うことに決めたのである。
 椅子に座ってバスを待っていると,大きなバスが次から次へとやってくる。熊本行き,佐賀行き・・・なんだかすごいや。ようやくボクが乗る観光バスがノロノロとやってきた。乗り込んでみると大型バスの乗客は・・・たったの8人!老夫婦,ホモっぽい若者3人組・・・。バスガイドさんが「空いてますので,お席は自由にお座りくださいませ」と言った。よしよし。ボクは大喜びで二座席を一人で確保する。ガラガラっていいなぁ。まあ,シーズンオフで,しかも平日ですからね。こんなモンでしょう。

櫛田神社

山笠

 バスはブブブ〜と街中へ走り出す。ガイドさんは40くらいかなァ。ナニナニ?年度末で道が混んでいるって。それに帰りは道沿いならどこでも降ろしてくれるから,早めに言って欲しいですって。福岡のバスって,なかなか親切なのだ。バスは,ほんのチョッピリ走って”櫛田神社”に到着。ここは,博多どんたくや祇園山笠祭りなどが行われる博多の総鎮守らしい。トコトコと参拝して,そこにある山笠の前で記念撮影と撮ることになった。西鉄観光バンザーイ!オヌシ太っ腹じゃのう。このっこのっ。ニクイよ!(ピョン吉の声で)三脚を抱えたオジサンがやってきて,「このカメラでないと,山笠全体を綺麗に撮れませんぞ。普通のカメラじゃ無理なのです。このフラッシュは実に強力でしてな」と言って,山笠の前に並んだ我々をパチリ。そして,封筒をくれた。「この封筒で申し込んでいただければ,数日で写真を送ります。千円です」・・・やっぱり!クヤしいので,デジカメで山笠を撮ったら,あっさり撮れてしまった。オジサンのうそつき〜
 そして,境内にある”博多歴史館”へ。ここは民俗資料やらがあるのじゃ。ジックリとゆっくり見て回ったが,3分で見終わっちゃった。一部屋しかないんだもんね。なんだかイマイチじゃのう。

コワーイ

古〜い元寇資料館

 また,バスに乗って次なる”元寇資料館”へ。駐車場に着くと,でっかいお坊さんの像がコッチを睨んでいる。フルルルル。そう,ここは元寇の時の古戦場。文永11年(1274年)当時はここは千代の松原と言う海岸だった。日蓮上人は,建白書「立正安国論」を鎌倉幕府執権北条時頼に提出し,蒙古来襲を戒めた。果たしてそれから14年後に”文永の役”が。さらに7年後には”弘安の役”が起こったのである。この像は,それを記念するため,明治37年になってから全国の信者達の寄進で作られたものである。そして,その時(ついでに)元寇資料館も造っちゃったってワケ。資料館に入ってみると・・・むむ。汚い建物だが,ふむ。中身はなかなかの充実ぶりだ。
 元寇の時,神風が”ぴゅるる〜ん”と吹いたので,日本が勝利したとされたが,実際は吹かなくても勝利しただろう。しかし,その神風信仰が大東亜戦争の時,迷信深くてご都合主義のヤッポン人に「神風が吹いて鬼畜米英を吹き飛ばしてくれよう」などと前近代的な考えを抱かせ,また,神風特攻隊のような悲劇を生んでしまったのだ・・・そんなことを考えながら外に出る。

広くて長〜い参道。遙か奥が本殿

楼門

 ゆっくりする間もなく,バスはまた走り出し”筥崎宮”へ。参道の途中でバスから降りたボクタチは,だだっ広い参道をガイドさんの後をトコトコ歩き出す。二の鳥居(写真),一の鳥居と進んで,ようやく本殿にたどり着く。広い境内はハトがいっぱいだ。ところどころに,ハトのエサ自動販売機も売っている。バスガイドさんが,「お参りしたら,ここで御神酒をもらいましょう」と言うので,社務所の前で巫女さんに御神酒をもらう。クピっと飲んだボクの目に,御神酒の隣の箱の中に100円玉とかがいっぱい入っているのを発見。ゲゲッ。ヤバイ!巫女さんが熱い目つきでボクを見る。あわてて,フラフラとそこを脱出した。
 この”筥崎宮”の参道は,海岸までまっすぐ続いている長い長い参道。歩きながら,バスガイドさんにお勧めメンタイコについて聞いてみた。ガイドさんによると,”ふくや”は大変有名だが,大量生産しているせいで味が落ちちゃって,ノラネコも「いらないニャーン」と鳴いて,またいで通るらしい。そう言えば,”ふくや”は上野駅でも買えるものなァ(実際,買ったことがある)。ガイドさんオススメは,料亭”稚加榮”のメンタイコ。ジューシィでフルーティだそうだ。なんでも福岡空港で売っているとのこと。これは耳よりな情報である。
 さて,バスは,都市高速1号線を海岸沿いに走り出す。右手は博多湾・・・美しい?コンビナートがゴロゴロ並んでいる。しばらくして左手にダイエーの福岡ドームの屋根が見え,そこから高速を降りて,”福岡市博物館”へ。 

福岡市博物館。スゴイでしょ?

 入口まで行くと,市立とは言え,さすがは政令指定都市の博物館である。これに比べれば,ウチの田舎の市立どころか,県立施設にも勝るとも劣らない。中に入ると,我が県の施設などは”劣るとも勝らず”という感をますます強くしてしまった。収蔵品がすごい・・・古代におけるこの地方が如何に進んでいたか実感してしまった。
 当時,関東などは,ド田舎以下のジャングルだったのだ。三世紀,中国ではあの三国志の時代の後の晋の時代。魏志倭人伝による記述では,この福岡は”奴”の国。倭人達は,身体に入れ墨を彫って,占いで政治モドキを行っていたのだ(まあ,今よりいい政治をしてたかも知れないケド)。この博物館には”漢委奴国王”の金印がある。見てみるとずいぶん小さい。この金印は後漢書の東夷伝に,東の野蛮人に可哀想だからくれてやったと記載してある金印。それより遙か後年になって,江戸時代(1764年),志賀島の農民が畑から掘り出したのであった。江戸時代であるから,後漢書の存在はよく知られているし,あまりに良い状態で出土したこと,また,後漢の光武帝たるものが,たかが倭人に金印(格がチョッピリ高いのだ)を下すのはおかしいと,偽物論争が起きたが,現在では真物と認定されているらしい。
 すっかり目が肥えた気分になって,外に出る。そして,博多駅の隣にある博多駅交通センターでバスを降りる。バスガイドさんにバイバイして,市内観光バスツアーはおしまい。ボクにとっては初めての市内観光バスの経験だったが,短い時間である程度サラリと有名どころを見るにはいい方法なのかも知れないね。

 

博多の夜

いい部屋なのじゃ

 今夜の宿”八百治観光ホテル”についたのは,18時15分頃だった。ふむふむ?5,800円にしては,なかなかいいホテルである。インターネットで予約したのだが,普通は素泊1泊7,300円なのだ。ボクにとって,ここのホテルを選んだ理由は,世俗的な金などの理由によるのでは全然なかった(ナンチャッテ)。実は,このホテル。温泉があるのである!このホテル,2階がフロントになっていて,1階部分が日帰温泉施設”八百治の湯”。入浴料は通常800円だが,宿泊者はモチロン無料なのである・・・クツクツ笑いながら,フロントでチェックインを済ますと,カードキーを渡された。今日の部屋は8階か。部屋につくや否や,タオルを片手に1階の温泉に出かける。この時間なら,人がいなくて写真を撮りやすいってものですからね。

”八百治の湯”入口

浴槽はいいんだけど,お湯っぽい〜

 ”八百治の湯”入口で,スリッパを下駄箱に入れて,オニイサンにチラリとカードキーを見せ,その鍵と引き替えにロッカーの鍵をもらう。受付の前は,軽食もとれるロビーみたいになっており,いかにも日帰温泉である。今この時点で,ホテルの部屋に入ってから約5分経過だ...服をピュッピュッと脱いで,浴室へ。二人ばかり先客がいたが,身体を洗い出した時に,写真をパシャパシャ撮る。さて,肝心の泉質であるが・・・むむっ!こ・これは!お湯かなぁ?ペロリとなめてみたら,カルキ臭い味がしたダケ。一応,天然温泉と書いてあり,カルシウム・ナトリウム-塩化物泉とはあったが,保健所の温泉表示もないし。
 さて,大急ぎで部屋に戻って,一休みしてからゆっくりとホテルを出た。18時45分。今から,博多の夜に繰り出すのである。やはり繁華街は博多駅のあたりだろうと,駅に向かって歩き出す。しかし,食堂だの居酒屋だのレストランがあるはあるは。佐賀の夜とは大違いで,今度はありすぎて選ぶ苦労。やっぱりグルグル回った挙げ句,(またまた)居酒屋へ。ここで,不思議に思ったが,佐賀も福岡の人も,とても言葉が綺麗である。てっきりコッチの人は,「ドスコイでごわす」とか言うモンだと思っていたのに〜。方言を聞いたのは,この旅行中であるエレベータの中で女子高生が「・・・ばってん」と言ったのを聞いたのが唯一であった。それにしても,「海の水は甘い。マルかバッテンか」とクイズを出したら,「バッテンばってん」と答えるのであろうか・・・。
 そして,フラフラとホテルに戻ったのであった。戻った直後,お腹が空いているのに気がついて,ホテルの前のコンビニにポテトチップを買いに行ったのは,また別のお話。さて,明日の午後には帰らなくちゃならない。でも,この夜はなぜかよく眠れなかった...
八百治の湯 福岡県福岡市博多区博多駅前4-9-2
029-413-8881
カルシウム・ナトリウム-塩化物泉 内2,サウナ 6:30〜9:30
12:00〜24:00
800円

 

 福岡市。博多という地名の方が知られているのではないだろうか。市街を流れる那賀川を境に東が商人の町・博多,西が武家の町・福岡として発展してきたものである。明治になって合併し,市名を決める市民投票の結果,僅差で福岡になったわけである。しかし,博多という地名は,歴史的にも有名であり,博多駅・博多っ子など”博多”の名称は数多く残されている。

 

エンディング〜プロローグ・博多のホテルにて〜から続く

 そして,天神から地下鉄で福岡空港へ。空港までは,約15分くらいくらい。空港3階の食堂街で,最後の博多ラーメンを食べる。やっぱりコッチのラーメンは美味しいなァ。ウチの田舎のゴムヒモみたいなラーメンとはちょっと違うよ。それから空港2階のショッピングモールでお土産物選び。例のバスガイドさんお勧めのメンタイコを探し回る。しかし,メンタイコって,ずいぶん種類があるのう...あっ!あった!これでしょう?”稚加榮”のメンタイコ!料亭の味だと書いてあるし,間違いない。結局,これと鹿児島の”かるかん”をお土産に決めた。
 飛行機は,(行きと同じように)プルンと羽を震わせると,ボボボと飛び立ったのであった。飛行機の小さな窓から下を見る。雲であまりよく見えない。仕方ないので,ゆっくり本を読んでいると...眠くなって。帰りは1時間半くらい。風の関係か。行きより短縮なのだ。羽田から電車を乗り継いで,ようやくの思いで田舎の家に帰る。「ただいま〜」「おかえり〜」

 一休みした後,パソコンの電源を入れた。よし。旅行記を書かなくちゃ。久しぶりにキーボードを打つ指がおぼつかない・・・”そして,飛行機はぷるぷるっと震え,飛び立った!遙けき九州は福岡の地へ!”

 

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