2001年6月30日(土)〜7月1日(日)の冒険

”サクランボ隊”を結成したボクタチは,東北は山形県へ
サクランボを求めて!そして秘湯を求めて!
そんな冒険が今始まった...

 6月30日(土)のこと...

深紅の宝石

 早朝,5時15分。曇り空。ボクタチは,サクランボのように赤い車で我が家を出発した。約10分ほどで常磐自動車道へ。さあ。これから長いドライブの始まりだ...

 ボクが,サクランボを食べたくなった理由は,サクランボについての友人の自慢話を聞いたためだ。その友人によると,数年前,遠く,山形県に出かけてサクランボ狩りをした そうだ。本場のサクランボの木から直接もぎって食べるサクランボの味は,まさに絶品!まさしく甘露。天上の悦楽。深紅の宝玉だそうである。あのサクランボを食べれば,もうこの世に未練は残らない と言うくらい...なんでも,関東あたりで売っているサクランボは,サクランボにして,サクランボにあらず!サクランボのクズなのだそう である。そこまで聞いては,行くしかありませんよね?
 さて,山形県のサクランボの産地は,寒河江市か東根市あたり。どちらも,日本一と称して譲らない。サクランボ狩りの場所は決まったとして,今度は,宿を探そうとしたが,ところが どうしても見つからない。なんと,蔵王の方まで予約がいっぱいなのである。どうも,サクランボ狩りのトップシーズン(6月中〜下旬)の週末は,全国からサクランボマニアが押し掛けて,宿がいっぱいになっちゃうらしい。結局,福島県の飯坂温泉の安宿を予約することが出来た。 安宿だって,今回は,サクランボを食べることが目的さ・・・

磐越自動車道を走る走る

 早朝の常磐自動車道を快調に飛ばして,福島県のいわきJCTから磐越自動車道へ。ここは基本的に片側一車線だが,ところどころで,現在二車線化を図っている。しかし,前に遅い車があるとすぐノロノロ運転になっちゃうのだ。途中,心配だったガソリンを阿武隈高原SAで補給し,一安心。時々細かい雨が降り出すが,また曇り空に戻る。
 7時。郡山JCTから東北自動車道へ。突然,車が増え出す。トラックが多い。結構,みんなスピードを出しているので,東北自動車道ってキライなのだ。事故も多いしね。 我慢して走り,ようやく,村田JCTから山形自動車道へ。良かったぁ。山形自動車道は,ところどころ一車線だが,高速道路にしては,カーブや勾配がきつい感じがする。ボクタチの古い車は,息も絶え絶えのエンジン音で,がんばった。 そして,長い長いトンネルを抜けると,既にそこは山形県に入っていた。山が見える!山形の山だから,山形山。上から読んでも山形山・・・そんなことを彼女と言い合いながら一路走った。
 ボクの予定では,9時には山形自動車道を降りて,寒河江市にあるチェリーランドでサクランボ狩りの受付をするつもりであった,ジャスト!8時55分に寒河江ICを降りた。 予定ぴったりである。早めにやってきたのは,混んじゃうので,早めに受付をした方がいいと友人に忠告されていた ためだ。サクランボ狩りのトップシーズンは,たぶん先々週か先週あたりが山だったんだろうが,それでも混雑が予想される・・・

 友人が行った時には,東根市で”チェリリンピック”が開催されていたそうだ。チェリリンピックとは,皆さんご存じとは思うが,サクランボの五輪の祭典である。どんな競技があるかというと,会場のコンパニオンのオネエサンといっしょに,二股に分かれたサクランボの実を,それぞれ口にくわえ,房のところが外れないように,上手に実だけ食べるという競技などがある そうだ。これは非常に難しい競技で,誤ってオネエサンとうっかりキスしちゃったりする場合がままあったりする。もちろん,これはハプニングなので,キスしちゃったりしても全然問題ないのだ...などと,彼女に(怪しげな)知識を披露しながら,チェリーランドに車を乗り入れた。

チェリーランドへ”サクランボ隊”御一行様到着〜

サクランボ狩り受付テント

 チェリーランドは,意外にも人が少なかった。農協でやっているサクランボ狩りの受付のテント前も,閑散としている。さぞ混んでいると思ってたのに。さっそく,申し込むことに した。料金は,一人1,200円也。受付の人は,サクランボ農園”三泉観光さくらんぼ園”までの地図をくれて,いろいろ親切に道を教えてくれた。「早めに行っといた方がいいですよ」ふむ。のんびりしていると,ガツガツした観光客どもにボクタチのサクランボを食い尽くされてしまう可能性があるという忠告なのだ ろう。わざわざ,県外からサクランボ目当てに集まってくるいやしいやつらが多いからなぁ・・・あれ?それって,ボクタチのことだっけ。

早よ喰いたいのう

 親切な忠告に感謝しつつ ,すぐに車で5分くらいのその農園へ向かった。おそらく,サクランボ園はいくつもあって,遅い時間になると,だんだん遠くの園を紹介していくことになるんだろうと思われる。
 サクランボ園の砂利の駐車場に車を入れ,そこで待っていたオバサンの後をついて,ボクタチは,トコトコ歩き出した。早く喰いたいのう・・・オバサンによると,去年はサクランボ狩りのお客が来て来て,もう来ないでチョという感じだったのだが,なぜしか今年は客が極めて少なく,困っているらしい。そう言えば,スーパーに並んでいるサクランボ,今年は結構安めである。狭い道の両側には雨避けの大きなテントの下にサクランボの木が並んでいる。サクランボは,雨に弱いのだ。

佐藤錦

ナポレオン

 案内されたのは,”後藤果樹園”ってトコ。入り口で5・6人くらいの人が夢中でサクランボの箱詰めをしている。ボクタチが声をかけると,そこの奥さんらしい人が,奥のサクランボ林にボクタチを連れて行ってくれた。「今年は雨が多かったので,ちょっと黄色いですが,完熟しています。タネとかは地面にポイしてくださいね。これが佐藤錦。これがナポレオン。樹齢によっても味が違いますから,いろいろ食べてください」・・・ムフフ。言われずとも食べるわい。
 たぶん,木のてっぺんあたりに,2・3粒サクランボの実が生えていて,猿みたいに梯子に登って採るのかなぁ〜というのがボクが抱いていたイメージであった。ところがである!どこもかしこも,大粒のサクランボの実が生えてるは生えてるは。あ〜ん。困っちゃう。どれを選べばいいか分かんな〜い・・・ムシャムシャ。ペッペッペ。ムシャムシャ・・・んまい!落ちるっ。ホッペが落ちちまう!ボクタチは,夢中になって食べ続けた。いつまでも。いつまでも。

ガツガツガツ・・・サクランボ隊員の姿

 佐藤錦は,サクランボの王様。ナポレオンは皇帝。皇帝の方がえらそうだが,実は,日持ちはいいが酸味が強いナポレオンと,日持ちが悪いが甘い早生と掛け合わせて作られたのが佐藤錦なのだ。もちろん,それを作ったのは佐藤さん(これホント。大正時代)。佐藤錦こそが名実共にサクランボの代名詞 だろう。お味は,佐藤錦の方が甘いが,ナポレオンの方が歯ごたえがある...一時間後,もうサクランボを見たくもなくなったボクタチは,ノロノロと農園の入口に戻った。そこで,お土産に綺麗に並んでいるサクランボを宅急便で実家に送ることとし,幸せの溜息をつきながら,”チェリーランド”へUターン。そこで売っているサクランボの価格を見ると,やっぱり農園の直売の方が安かった。
  ついでなので,例の受付のテントの後にある”さくらんぼ会館”をチョッピリ見学してみた。そこに書いてあることによると,サクランボは,原産地はトルコで,紀元前にヨーロッパに入り,アメリカを渡って,この寒河江にやってきたのである。これぞ,シルクロードなんか全然目じゃないチェリーロードだそうだ。(怪しいなァ)

チェリーランド 山形県寒河江市八鍬川原919-8(道の駅 寒河江)
0237-86-3111
寒河江駅から車で5分
駐車場330台(無料)
9:00〜18:00

山寺の和尚さん

 サクランボは喰っちまったし...”みけねこサクランボ隊”は,もう早々に解散せざるを得まい。かくして,次なる特殊チーム”みけねこ山寺隊”を結成することとした。
 チェリーランドと別れを告げ,一路天童市に向かうボクタチ...市街を抜け,山寺への県道に入る。ここらへんもまたサクランボの産地らしい。道の両側にはテントの下にサクランボの林があり,直売所とか,看板が−あれれ?ここらへんって,サクランボ狩り千円ですって!くひょ〜

山寺登山口

本堂

松尾芭蕉(曾良は右にいます)

山門でお金を払う

 程なく,山寺の門前町に到着。駐車場はっと・・・ぐるりと回って,結局かなり手前の駐車場(400円)に車を停めた。歩道のない狭い道の両側に土産物屋が建ち並び,お店の人は,ボクタチに熱心に声をかける。チェリーランドや農園もそうだったけど,こっちの人って,とても気さくに声をかけてくれるし,商売熱心なんですよね。我が県とはまったく大違いである。お店で「これくださーい」なんていくら叫んだって,しらんぷりして出てきやしないし,観光土産物屋の前を通ったって,ヒマそうにこちらをジロジロ見るだけ。やる気ないんだよなぁ。

 駐車場から歩いているうちに,すぐに暑くなってきた。曇り空なんだけど,すごく蒸し蒸しする。ようやく山寺への登り口を見つけて,階段に足をかけた。ここ”山寺”は通称であり,本当の名前は”立石寺”である。1100年もの歴史を持つ天台宗の名刹。有名な童歌がありますね。

   山寺の 和尚さんが
   毬はけりたし 毬はなし
   ねこをかん袋に 押し込んで
   ポンとけりゃ ニャンとなく
   ニャンがニャンとなく ヨイヨイ

   山寺の 狸さん
   太鼓打ちたし 太鼓なし
   そこでお腹を チョイと出して
   ポンと打ちゃ ポンと鳴る
   ポンがポンと鳴る ヨイヨイ

 ・・・は,作者不詳?の歌であるが,狸まで腹つづみを打つとは,実におそるべし。山寺って(ホントは,ここの寺ってワケじゃないと思うんですけど)。
 そして,登山口と書いてある階段に足をかけた。現在,11時半頃だ。階段を上ると,参道が左に折れる。お店のオバサンが「力こんにゃく」を食べてってよ〜と声をかけてきた。力こんにゃくって,醤油で味付けしたコンニャクを串にさしたものだが,これを食べると,力がモリモリ出て,階段なんか 「ヘ」でもなくなっちゃうらしいのだ。一串100円。ま,力強さに溢れた我々”みけねこ山寺隊”である。こんにゃく如きの力を借りる必要はまったくないのだ。
 途中,山門があり,そこで一人300円の入場料を払って,さらに奥へ。狭い階段を行き交う人は結構多い。なぜかみんな杖を持っている。どこで貸してくれるんだろう?2分ほどで,ボクはシャツをズボンから出した。フ〜暑い。3分後には,シャツの前ボタンをいくつか外しちゃった。行き交う善男善女が見ていなければ,パンツまで脱いじゃいたいところだ。う〜グルジイ〜。アッチッチ。あの力こんにゃく,食べとけば良かった...

 しかし,なん という石段だろう...麓から奥の院まで1,015段。くそっ。ボクタチは,やけになって登った。なんでも,一段一段登る毎に煩悩が消えていくと言う。しかし,ボクの煩悩はかなりのボリュームを誇るらしい。一向に減りませんもの。

せみ塚

ついに奥の院が!

 途中,見えてきたのは,”せみ塚”。みなさん,ご存じのとおり,セミの亡骸を埋めているところ・・・じゃなくて,「閑けさや 岩にしみ入る 蝉の声」を歌った短冊をこの地に埋め,その上に石碑を建てたものと言われる。1689(元禄2)年,芭蕉は,門人曾良を伴い,150日もの”奥の細道”行脚の旅に出発した。芭蕉が山寺を訪れたのは,初夏のこと...

 この”せみ塚”が奥の院への行程の半分。ボクタチ山寺隊は,さらに元気なく歩き出したのであった。そして,足を引きづりながらたどり着いたのである。奥の院へ!ひゃっほ〜。かん袋に入れたネコイジメをしている和尚さんは残念ながらいなかった。
 さて,登り切ったら,後は,ひたすら降りるのみ。降りる方がラクチンてもの。ボクタチは元気良く降ったのである。時間にして,山寺には1時間くらいいたかなぁ。なにせ,途中で結構休んじゃったしね。

これが”板そば”じゃ

 そろそろ,お昼を食べなくちゃ...ボクタチが入ったのは,門前町の通りにある美登屋という蕎麦屋さん。ちゃんと前もって調べといたんだもんね。”板そば”を注文する。ドーン!一人前1,380円。考えてみると,これがボクタチの今回の旅行の一番の贅沢となった。美味しかったのだが,こりゃ,盛りが良すぎる。もり蕎麦二人前といったところだろうか。

 当初の予定では,これから米沢街道を南下し,上の山や赤湯を経由して米沢市内から国道13号を東に飯坂温泉にまで行くつもり・・・だったが,お腹いっぱいだし,山寺歩きで疲れちゃった・・・というわけで,山形北ICから山形自動車道に乗って,東北自動車道を南に折れ,福島飯坂ICにワープしちゃったのである。ここはもう福島県。時間にして,15時頃である。

中野不動尊大日堂

ここから洞窟へ

 旅館にシケコムのはちと早いので,飯坂温泉街を通り過ぎて国道13号を10分くらい西へ走って,細い路地の先にある”中野不動尊”に寄ることにした。ここは,800年前,恵明道人がカモシカの跡をのこのこくっついてって,見っけた場所。コンクリで出来た洞窟があって,不動明王などが祭られているのだ。
 駐車場には,バスが何台も停まっており,意外と大きな観光地のようだ。まずは,赤い大日堂の二階から下に降りたところが,洞窟への入口。ここにロウソクがあって,(50円を払って)その場に灯すのだ。トコトコトコ...狭い洞窟内には,いつくも小部屋みたいなのがあって,童子の像が祭られている・・・と,思ったより,アッサリと外に出てしまった。
 さて。もういいかな?まだ16時前だけど,そろそろ宿に向かうことにする。その旅館は,前もってボクがインターネットで熱心に検索して予約した宿なのである。料金は安い(1泊2食付き7,900円)にもかかわらず,写真で見たら,ウットリするような趣深い和風の宿 だった。その名も,”季粋の宿 新松葉”。名前もなかなかってもんでしょう?

飯坂温泉の冒険

玄関前に停めちゃった

おしゃれなロビー

ちくさの間へ。ドア横に注目

暗〜い

 雨が降ってきた。日本武尊が入浴したという伝説のある奥州三名泉の一つ,飯坂温泉。国道13号から福島交通飯坂線に沿って県道を走る。終点の飯坂温泉駅を追い越して右へ。狭い車道のみの十綱橋を渡って,摺上川の対岸の道路を行く。ボクタチの”季粋の宿 新松葉”ってどこかなぁ?新十綱橋の下へ降りる狭い道の奥に看板が見えた。むっ!こ・これは!ボクタチはブルルと,武者震いした。
 ボクは努めて明るくふるまおうとし,彼女の顔色は青くなる。ボ・ロ・イ!確かインターネットでは,駐車場20台とか書いてあったハズ・・・しかし5台がいいところじゃ。自転車なら20台置けそうだが。ボクが車に乗って,彼女がフロントに車を奥く場所を聞いてきてもらった。そしたら,怖ろしいオバサンがやっとこ出てきて,「玄関前にでも置いてくだされ」って。ボクはウンウン唸りながら,やっとの思いでグイグイ車を入れたのであった。これじゃ,旅館に歩いて入ろうとする人は,カニみたいに横歩きしなくちゃ。そして,ボクもフロントへ。もう16時前なのだが,電気もついてないゾ。なんかヘンなニオイがするんだよなァ。と思ったら,ロビー前でイモを売っておった。そう言えば,ここの旅館の名物って,芋懐石らしいが。それにしても,ロビーとは言っても,椅子のひとつも置いていないゾ・・・と見ていたら,「さつまいも情報室」とかいた部屋があり,雑然とイモに関する資料を展示していた。ううう・・・ここの経営者のイモに関する情熱は尋常じゃなさそうだ。
 フロントのオバサンは,やる気なさそうに,ボクタチを案内した。「ここは3階ですから,そっちの階段を降りて1階へ降りてください。チグサの間がお部屋です。ご案内はここまでで失礼します」って,フロントから3歩くらいしか案内してないじゃないか。ボクタチは,暗〜い暗い狭い階段を降りだした。うん。決まった。”みけねこ山寺隊”の次は,”みけねこふてくされ隊”にしよう。

 そして,ボクタチの目の前に,なんとも言えない戸があった。ボクの頭の中に,まだ学生の頃泊まった「○○青少年の家」のイメージがふと浮かんだ。なんか臭い。畳はささくれだって,掃除も行き届いていないようだ。電気をつけようとしたが,いくらヒモを引っ張ってもダメ。部屋中のスイッチを押してみたが,これまたダメ。しばらく探し回っていたボクタチであったが,ついに断念してフロントに電話してみた。 (電話に出た)例のオバサンによると,扉の外にスイッチがあるから,これを押せと言う。外に出ると,あった!これこれ!珍しい作りですなァ。

窓から見る摺上川

新十綱橋の上から,ボクタチの旅館は?

 さて,彼女が「クサイクサイ」と言って(実は,ボクの鼻って鈍感なのです),窓を開けると・・・目の前は”摺上川”である。対岸に古いホテルらしき建物が建ち並び,薄緑色の川がどんより流れていた。
 まだ時間は早い。ボクタチは,飯坂温泉の探検に出かけることにした。ここは,共同浴場が9カ所もあるというし。タオル片手に,フロントまで行ったボクタチは,フロント横の厨房で,多量のコロッケを作っているのを発見する。じゅるる〜。たぶん,今夜の食事は,コロッケに違いないぞ。ボクは,コロッケが大好きなのだ。彼女を見ると,深いため息をついていた。玄関を出ると,かすかに雨が降っている。案内板を見ると,本日の宿泊は,3組と,ナントカ大学水泳部ご一行様らしい。

 小さな傘を一本だけリュックに忍ばせて歩き出す。新十綱橋の上から摺上川を見下ろす。ボクタチの旅館はどれかなぁ?たぶんあの真ん中にある白いやつかな?しかし,ボクより観察力に優れた彼女は言った。「一番手前のダイダイのやつよ」ええ!あの積み木を重ねたようなボロッチイやつ?まさかぁ・・・しかし,よくよくみれば,あのダイダイの1階部分,真ん中の部屋のカーテンが開いていて,見慣れた椅子が!
 ボクタチは,ぶるぶると震えると,飯坂温泉の街へ向かったのであった。

 昔,トコトコ歩いている途中,うっかり大蛇を踏んでしまった俵藤太(藤原秀郷)。すると,大蛇は,とんでもない美女に変身して,藤太にこう頼んだ。「大ムカデが,私の子供達を食べて困っております。どうかお助けください」大ムカデとは,大敵であったが,しかし義を見てせざるは 勇なきなり。藤太は覚悟を決めて,「おまかせなさい。今夜にでも退治しましょう」と請け合ったのであった。夜になり,戦装束に身を固めた藤太は,大ムカデが出るという場所に向かうと,怖ろしい雷雨が響きだした。そして,向こうの山から大ムカデが地響きを轟かせながらせまってくる!藤太は,弓を射た。「ヒュウ」しかし,矢はむなしくムカデの身体にはじき返されるばかり。「南無八幡大菩薩・・・」藤太は,決死の覚悟で最後の矢をムカデの目を狙って射った...
 翌朝,美女は,藤太にお礼にと金銀財宝を差し出した。しかし藤太は,「こたびのことは,武門として当然のことをしたまでです」と受け取らない。困った美女は,「では,日本武尊様が入った温泉”佐波来湯”にいっしょに入りましょう」と誘うが,「ムカデの血で汚れた身体で,そのような霊湯に入るわけにはいきません」とがんばる。仕方ないので,美女は,佐波来湯の近くの泉に藤太を案内し,そこで衣類を洗ったところ,その泉はみるみるうちに,暖かくなり,温泉となったのであった。大喜びの藤太は,大ヘビの美女との混浴を楽しみながら,戦いの疲れをいやしたのであった。 

鯖湖湯

 狭い道を歩いて向かったのは,”鯖湖湯”。飯坂温泉には9つの共同浴場があるが,その中でも最も有名な浴場であり,木造建築の共同浴場では日本最古とされ,芭蕉も奥の細道の途中,ここに寄ったとされる。残念ながら,現在の建物は明治22年に作られた浴場を平成5年に改築したものである。

 旅館から十分もかからず,青い幟が立つ鯖湖神社とお湯かけ薬師が現れ,その向こうに木造の趣のある建物が見えてきた。これだ。これこれ!さっそく入ってみるとしよう...入口に券売機があり,その向こうが思いがけず広い脱衣所兼浴室となっている。壁一面がロッカーになっている脱衣所であり,そこで服を脱いで,数歩あるくと御影石の浴室って 仕組み。
 見ると,3人ばかりペタリとアグラをかいて座っているが,浴槽には誰も入っていない。ボクは,スルスルと服を脱ぎ,スタスタ浴槽まで行くと,洗面器にお湯を入れて身体にかけた・・・っう。あちちのち!こりゃ,尋常の熱さじゃないゾ。しかし,ボクは全国の温泉に入湯した温泉のプロであるっ! プロ中のプロ。その誇りにかけて,再度,足を入れてみたが・・・0.5秒後には,「ヒーン」と叫んで飛び上がってしまった。だめだ...このお湯,煮だっているに違いない。120度はあるとみた!
 その時,大学生らしき5人組のグループと,その先生らしき人が入ってきた。大学生達も,湯船に入ろうとするが,「ヒー粘膜が(?)〜」と謎めいた叫びをもらして,入れない。すると,先生がホースで水をじゃぶじゃぶ入れて,ソロソロと湯船に身を沈めた。さすがは先生である。「お前たちもひとりづつ交代で入れよ。ただし,そっとな。熱いから」大学生たちは,真っ赤に茹で上がりながらも,「縮こまっちゃう(?)」とか叫びながらひとりづつ交替で入ったのであった。くそ〜。ボクも入りたいのう...でも,ホースは一本であり,大学生たちは何人もいる。しょうがないから,しばらくの間,ザバザバと,かけ湯だけしてあがったのであった。残念無念じゃ。無色透明。泉質はさほどのものとも思われなかったが,この共同浴場の面影を残す雰囲気は大いに評価したいと思う。
 女湯から出てきた彼女に聞いたところ,なんとか,身もだえしつつも,首まで(30秒くらい)つかったということである。うぬぬ。負けた!彼女がいっしょに入ったオネエサンによると,ここに来る前に入ってきた共同浴場”切湯”では,ここより遙かに熱かったとか。きっと,飯坂温泉の人って,よっぽど,お熱いのがお好きなんですね。

 飯坂温泉の9つの共同浴場。シャワーなどもない昔ながらのもので,お湯の温度も伝統的に高めに設定してある。しかし,観光客が入れないため,鯖湖湯だけはぬるめに設定してあると聞いた。自動販売機のある鯖湖湯を除いて,共同浴場の入浴券は,”入浴券売捌所”と書いてある店で100円で購入することになる。

鯖湖湯 福島県福島市飯坂町
024-542-2121(バルセいいざか)
単純泉,51.4度 6:00〜22:00
月曜休
100円

 

雨にけぶる飯坂温泉駅

 ”鯖湖湯”から外に出ると,雨は強くなっていた。もう傘をささないと歩けない。せめて,温泉街散策の気分だけでも味わおうと,ボクタチは,相合い傘で飯坂温泉駅に向かって歩き出した。しかし,車は,水をバシャバシャ撥ねながら走り回り,どこをどう見ても,温泉街の雰囲気 ぽくはない。期待の駅前も,なんとも言えぬもの悲しい雰囲気がしただけだったので,来る途中,車で通った,狭い狭い”十綱橋”を(車の通る間隔を図って)大急ぎで渡り,我らが旅館に帰ったのである。

 古い古いニオイのする部屋に戻って,顔をしかめてボンヤリしていたボクタチ。

 そして,ジャジャーン...いよいよ夕食の時がやって来た。待ってました!若いオネーサンが二人,テーブルを端っこに押しやって,どうするのかと見ていたら,なんと,お膳を持ってきたのである。うを〜!お膳ですぞ。豪華〜。しかし,ボクが期待していたコロッケは・・・なかった。くそっ。あれは大学生水泳部専用のゴチソウだったに違いない。お膳の上は,刺身・焼魚・野菜天ぷら・イモの煮っ転がしと,思いがけず充実ではないか。正直,期待していなかっただけにびっくり!味としては,やはりイモ系がウマイように思われた。ここの宿の主人は,なんてったって,イモに情熱を持っていますからね。 ムシャムシャムシャ。

家族風呂

 さて,メシを喰っちゃったら,もちろん最後は温泉である。ボクタチの部屋は1階で,その左隣のもひとつ隣が男子浴場・女子風呂・家族風呂と並んでいる。位置的に非常によろしい。そこで,まずは,ちょいと,ボクが男子浴場を覗きにいったら,水泳部の連中がバタフライの練習をしているような音がした。
 彼女の意見によると,なんでも,女湯と家族風呂は,大正時代の大理石のレトロ風呂だそうなので,家族風呂に入ろうとのお誘いである。珍しいなァ。さっそく,二人でタオルを持って,家族風呂の様子を見に行ったら,カギのかかった扉の向こうから水泳部の野郎どもの声がする。ムムム。カギを締めて,密室で何をやっているのじゃ。まあ,水泳部は男だけのハダカの世界だし,しょうがないか。
 部屋に戻ると,先ほどのオネーサン二人組がお膳を下げに来て,そして,そのまま布団をしいてくれた。部屋は十分広いにもかかわらず,ボクタチをチラリと見て,布団をピッチリくっつけて敷いてくれた。 これって,”季粋の宿 新松葉”の独特のサービスなのだろうか...掛け布団なんか,交差してるじゃないか。ここまで,くっつける旅館は,今まで始めてである。きっと,水泳部の男子連中の部屋も,こうやってくっつけてあげていたのだろう 。

 女風呂と家族風呂のところから,階段があって,そこに中二階の休憩所みたいなところがある。椅子があって,この旅館では,一番綺麗なところなのだ(と思われた)。ここで,家族風呂が空くのをしばし待つ。ガコンガコンと音がしていたので,何かと思って休憩所の奥を見たら,なんと洗濯機が回っていた。宿泊者が,自由に使っていいらしい。
 そして,ようやく家族風呂へ。ここは,空いている時に自由にカギをかけて入るっていうシステム。浴槽は広くはないが,深くて気持ちいい。やっぱりお湯が熱めだったので,ホースから水をジャバジャバ入れて薄める。ふぁ〜。いいですなぁ。温泉って。夫婦水いらず・・・といっても,お湯の中に入っているんですけど。
 そして,”みけねこふてくされ隊”は,グースカ寝たのであった。この”季粋の宿 新松葉”。なんとなく,だんだんと気に入ってきた。

季粋の宿 新松葉 福島県福島市飯坂湯野字切り湯の上2
024-542-2134
単純泉,51.3度 男女内各1,家族風呂1

 

 7月1日(日)のこと...

 ”みけねこ混浴隊”結成す

 朝。目覚めると,窓から明るい日差しが差し込んでいた。摺上川のたゆまぬ流れは,朝日に輝き,まるで人生のよう。
 7時半。すてきなゴハンを食べに,フロントの階まで出かける。朝食会場のレストランは?フム。ここじゃ。まさしくこのレストランだ・・・。お膳だし。メインは,ボーンレスハムだろうか。注目すべきは,飯坂温泉名物”ラヂウム卵”である。まあ俗に言う温泉たまごってやつ。パクパクご飯を食べたボクタチは,部屋に戻って出発の準備。さらば...季粋の宿よ。また会う日まで。

 8時半。温泉街を出て,国道13号をまた東へ向かう。そう...山形県に舞い戻るのだ。目的地は,山形県最高峰にて最秘湯と呼ばれる”姥湯温泉”である。吾妻山系,1,250mの奥深い渓谷に湧く一軒宿。ボクの調査によりば,秘湯の第一条件である混浴 の条件もクリアーしている。行かずばなるまい...秘湯ファンの我々としては。かくして,”みけねこ混浴隊”の結成となった。秘湯慣れしているボクタチのこと。最高峰だの,最秘湯だの言ってもたかが知れているのは,よ〜く分かっているのだ。秘湯なんて言っても,東京からハトバスが列をなして来るようなところに違いあるまい。”船の科学館と秘湯・姥湯温泉。半日コース”とかいってね。

ここを左へ

案内板アップ

 国道13号を30分近く走り,東栗子トンネルと西栗子トンネルの間で,左へ県道へ・・・舗装はされているが,車一台がようやく通れるいかにも埃っぽい田舎の道。ところどころに,家や資材置き場がある。すぐにJR奥州本線の板谷駅の側を通り,道はクネクネと伸びていた。こりゃ,ちと, ハトバスは無理ですなァ。家のある間隔は,だんだんと間遠くなり,木々が多くなる。パルパルパルパル(エンジンの音)・・・まだかなぁ?ますます道は細くなり,どこまでも続く木のトンネルの下,心細くなってくる。いったい,いつ着くのだろう?

緑のトンネルを延々と走る。舗装された道は,いつの間にか砂利道に

 道が分かれている場所で,姥湯温泉の看板を発見した。良かった!車を停めて確認だ。ふむふむ?なんでも,姥湯温泉の手前のスイッチバック部分が,今年の11月まで工事中であり,その手前の臨時駐車場で宿の送迎のシャトルバスを運行していると書いてある。ふーん。実は,前もって姥湯温泉の一軒宿”桝形屋旅館”に問い合わせして,このことは聞いておいたのである。我ながらなんたる準備の良さであろうか!8時45分と9時半と10時半と11時半・・・という間隔でバスが迎えに来てくれるのだ。なんとしても9時半の便に間に合わせなくちゃ。よし!もう少しだろう。

 看板で左折したボクタチは,木の生い茂る道をいつまでも走り続けた。うにゃ〜。それでも,まだ着かない。ごくたまに,大きな4WDの対向車がやってきて,すれ違いに一苦労。しばらくして,右側が崖になって,そこに5台くらいの車が置いてある小さな駐車場を発見。ここ,ここ!・・・と思ったら,またまた違った。そこから,さらに狭い急坂を左に登る。ヒ〜ン。ボクタチの車は,ハンドルを思い切って回して,息も絶え絶えで登った。ううっ。ここ帰り降りられるだろうか...ハンドルを握るボクは口数が少なくなり,緊張に手は震える。ところどころにあるのは,「クマに注意」の看板。ひぇぇ〜。マジで出てもおかしくなさそう。もし,クマが出たら,彼女がクマと戦っている間,隊長たるボクは急いで里まで下りて,助けを呼んで来なくちゃ。とっくの昔に,帰りたくなっちゃったが,Uターン出来る場所なんてない。このままじゃ,9時半に間に合わないよ〜。
 そして,左に建物が見えた!うを〜。ここが”滑川温泉”。姥湯温泉の手前に位置する混浴の温泉。よし!ホントにホント。もうすぐのハズだ。時計を見ながら黙って運転するボク。隊長って,責任重大なのだ。気がつくと,道はいつの間にか砂利道に変わっていた。
 9時半!もう,間に合わないっ。次の10時半までなんてとても待てないから,臨時駐車場から歩く覚悟を決めた瞬間である。小さな空き地が。ここだっ!そこには,マイクロバスが今にも出発しようとしている ところだった。ものすごい勢いで,狭い砂利の駐車場に車をつっこんだボクタチは,タオルをつかむと,待っていてくれたマイクロバスに飛び乗った!

間に合った!やった〜!

 ・・・「すみませ〜ん」大急ぎで,マイクロバスに飛び込むと,乗客の歓迎のどよめきが,ボクタチを迎えてくれた。「あぶなかったねぇ」「よかったよかった」
 バスの乗客は,5人。30代の夫婦らしきカップルと,大学生くらいのお嬢さんとその両親。シャトルバスだなんて大げさだけど,ボクタチの目には,すばらしい天上の乗り物に思えたんだ。バスは,ゆっくりと砂利道を走り出した。 家族連れのパパリンの話によると,4WDの車で来たが,途中,対向車があって,20mもバックしたそうだ。それにしても,ボクタチの2WDの古い車で,よく来られたなァ。
 急坂を登るバスを運転するおじさんの運転・・・すごい。みんなの楽しそうな悲鳴があがる。「ジェットコースターよりすごい!」
 運転手のオジサンは,楽しげにしゃべりだした。「クマの看板が出てたと思いますけど,出ませんから安心してください。でも,温泉では,混浴風呂に頭の黒いメスグマがでます」「この道,毎年必ずトラブルが起こります。この間は,オニイチャンの車が ボローンと50mも落っこちゃって」「この道は市道ですが,この先に,スイッチバックの部分があって,ここが工事中です。事故がよく起きるので,市が直してくれています」

スイッチバック。急坂だ

説明板

 しばらく登ると,有名なスイッチバックが現れた。ここは,急なN字形の道であり,真っ直ぐ進んで,斜め右の斜面を登りながらバック。そして,そのまま前進するというワケ。切り返しながら前進で行けるなんて思う自信過剰のドライバーは,急坂で片輪タイヤが宙に浮いて,深く静かに後悔することになる。しかし,その名にしおうスイッチバックの難所を,おじさんは,いとも軽々と斜めに登り切ってしまった!信じられん・・・。工事中らしく,セメント袋などが置いてあった。よくもここまで持ってきたものである。この名物のスイッチバック。もうなくなっちゃうのだ。なんだか,寂しいような気が した。
 さっきの駐車場から,”姥湯温泉”まで,歩いて30分くらいらしい。でも,この上り坂のきつい道。ゴリラか,あるいは人間であっても相当慣れていないと,とても30分では無理そうだ。たぶん,足弱のボクタチでは,5分も登ったら,口から心臓が飛び出しちゃうに違いない。親切な運転手の オジサンは,こうアドバイスをしてくれた。「出来れば,女性の方も是非混浴の方にチャレンジしてください。あっちの方がいいです。それから,カメラを忘れずに持ってって写真を撮ってくださいね。景色がすばらしいですから」大学生のオネエサンが,家族の誰もカメラを持っていないことをしきりに嘆いたが,旅館に使い捨てのカメラを売っていることを聞いて,明るく喜んだ。

 バスに乗って,ほんの10分くらいだった。姥湯温泉・桝形屋旅館の駐車場(らしきところ)についたのは。なんだか,すごく長かったような気がする。それに楽しかった!バスは,バックしながら吊り橋の手前につけてくれた。おじさんが最後に言った。「10時じゃ早いでしょうから,帰りは11時ですね。ここで待ってます。帰りに雨が降っているようでしたら,旅館で傘を借りてきてください」親切だなぁ・・・よしっ。行くぞ!我ら7人は,吊り橋に足を踏み出した。

 混浴は招くよ(姥湯温泉の冒険)

吊り橋を左へ

吊り橋より。遙かに”桝形屋”の建物が!

もうちょっとじゃ!

 吊り橋はユラユラゆれる。まるで,みけねこの乙女心のよう。まずは30代カップル。次に女子大生家族。最後にボクタチである。そんなに,ガツガツ行っても,混浴露天は逃げないのにね。帰りのバスの時間まで,1時間20分くらいある。
 橋を渡ると,崖沿いに細い歩道が続いている。結構きつい登りの勾配だ。ウンウン。カップルは,ものすごい勢いで先に行ってしまった。家族は,パパがサクサク登るのに対し,奥さんと娘は,キツイキツイと叫んだり,大げさにため息をつきながら歩いている。左手は,渓流。細長い流れは白い飛沫をあげながら勢いよく下っている。
 吊り橋から歩いて10分くらいだろうか。急坂に張り付くような”桝形屋旅館”に到着したのは。

 天文2年(1533年)。鉱石を探していた男が,夢枕に祖母が現れて,その導きにより発見したのがこの温泉だった。”姥湯”の名前はこれに由来する。男は”桝形屋”を開き,現在17代目を数える。
 紅葉があまりにすばらしく,そのシーズンは,平日を含めて3月中には予約でいっぱいになると言う。電話は無線電話なので,通話料が高い。米沢市内にご主人の家(冬季案内所)があるので,そこに電話した方がいいらしい。なお,冬期(11月上旬〜4月末)は,雪のため休業となる。

玄関

荷物運搬用の籠

 宿は,木造2階建。こんな山奥に思いがけず清潔な感じだ。いったい,どうやって建てたのだろうか?大きな窓から,浴衣を着て,畳の部屋に佇んでいる泊まり客が見える。部屋と部屋の仕切は,襖のようだ。目に付いたのは,旅館の前の籠。ワイヤーで吊り橋のところまで繋がっている。車が入るのは,吊り橋の手前まで。そこから足場の悪い坂道を10分もかけて荷物を運ぶのは大変なので,この籠で運搬するわけだ。これに乗れば,帰りは早いだろうなぁと思ったが, すごく怖いだろうね。

 玄関に,宿の(若い)お姉さんと先についていた家族連れのパパが何か話していた。追いついた娘にパパが聞いた。「使い捨てカメラ。フラッシュ付きと,なしと,どっちがいいだろう?」「撮れないと大変だから,念のため,フラッシュ付きにしましょうよ」(この時,ボクはこんないい天気にフラッシュなんかいらないよと思った)次は,ボクの番。入浴料お一人様500円 を払う。バスの送迎までついて,このお値段。やす〜い。
 露天は,宿の前を通って,さらに登ったところにある。すぐに,右手に緑の網に囲われた女性専用露天が現れる。ここで,家族連れのお母さんと娘が「どうしよう」と言い出した。「混浴の方まで一応,行ってみる?」と娘。ボクは,いかにも「男女七歳にして席を同じゅうせず。夫たる男子以外に肌を見せるのはケシカラン」という風に,眉間に縦ジワを立てたが,心の中では『勇敢な娘さんじゃ。えーど。えーど。サントリーエード』と思った。ややあって,脱衣所と,その向こうに混浴露天が現れた!風が強い。

姥湯温泉
(桝形屋旅館)
山形県米沢市大沢峠姥湯1
070-7797-5934(無線電話)
0238-35-2633(冬期案内所)
単純硫酸硫黄泉,56.8度 露天(混浴1,女性1)
男女内(日帰利用不可)
9:00〜16:00(冬期(11月上旬〜4月末)休業) 500円
(子供250円)

 

露天から見上げる渓谷。源泉は,川のあたり

男女兼用脱衣小屋

 脱衣小屋は,混浴脱衣所(つまり男女別ではない)であった。例の30代のカップルが,脱衣小屋からスッポンポンでノコノコ出てきて,露天にポシャン。奥さんは小さなタオルを前にたらしているだけ。これは,相当入り慣れている証拠なのである。混浴レベル8は越えているだろう。いっしょに歩いてきた家族連れの奥さんと娘は,これを見て固まってしまったようだ。ムフフ。ここでボクは,早く露天に入りたいので脱衣所なんてかったるいから,この場で服を脱いじゃおっと・・・という考えが一瞬頭をよぎったが,紳士たるもの。イヌネコじゃあるまいし,そういうわけにも行くまい。

 奥さんは,かなり躊躇っているようである。しかし,娘は「せっかくだから,こっちに入る」と宣言した。『嗚呼。大和撫子たるものが,なんたるふしだらな振る舞いであろうか』・・・と嘆き悲しむ顔をしたボクだったが,心の中では大いに拍手喝采した。「お先にどうぞ」と紳士たるボク。すると,パパリンと娘は,脱衣所へ。そして,ボクタチも。そして,みんなしてタオルを巻いて,露天にはいったのである。

 大きな岩に囲まれた露天は,直径7mくらいだろうか。青白濁の湯は,太陽の光を反射してさまざまな色を見せている。思っていた硫黄のニオイは感じられない。泉温はややぬるめで,長く入っているのにちょうどいい。そして,露天から見上げるV字型の渓谷・・・源泉は渓谷の上(左写真真ん中に見える川の向こう岸)から湧出しており,泉温を下げるため,そこから”ます湯”と言われる木の樋を伝わせて,温度を下げているのだ。

 フ〜。気持ちいいっ!渓谷から吹き下ろしてくる風がかなり強い。大切なタオルが飛ばされそうなので,頭に巻くことにした。哀れなママリンは,しばらく服を着たままウロウロしていたが,娘が巻いていたバスタオルを借りると,意を決して入ってきた。よしよし。家族連れの買った例のカメラは,大活躍である。「今度はオレが撮ろう。グヒヒ」パパリンがカメラを持った瞬間。みんなの悲鳴があがった。パパリンは,カメラをポシャリと湯の中に落としてしまったのである!ションボリしたパパリンに,娘の非難を込めた目はひどく厳しかった...
 例の30代のカップルは,看護士と看護婦さん。休みは二人で,いろんな温泉巡りをしているらしい。旦那さんによれば,彼女が旅館で出るような料理がニガテなので,車の中でいつも寝泊まりしているそうだ(お金もかからないし,合理的ですね)。家族連れは,パパリンが手術をして,そのリハビリを兼ねて奥さんといろんな温泉巡りをしているとのこと。今回,元気印の娘もいっしょにくっついて来た。職業は,たぶん土建屋の社長さんかなぁ。お金持ちそうだしね。ボクの勘だと。

 しばらくして,若者がひとりやって来た。リュックを背負っているし,泊まり客ではなさそうだ。マイクロバスは運行してないハズだし。まさか歩いて登ってきたのかなァ。首をかしげていると,さらにオジサン二名のご来湯である。

 今何時だろう?ボクは,頭のタオルを腰に巻くと,脱衣小屋の時計を見に行った。ふむ?10時20分くらい。まだ大丈夫だよね。ふと見ると,ボクが岩の間に押し込んでおいたタオル入れの袋が風に飛ばされている。ボクは,あわてて追いかけようとした。すると,尖った石ころが,ボクの足裏のツボを押した「イテテテテ」。これは名誉の負傷である。おかげで,その後,ボクは1週間くらいビッコを引くハメになった。
 そして...カップルが出,家族連れが出,そして後ろ髪を引かれる思いで,ボクタチ。
 服を着て,源泉の沸き出す場所に登っていく。渓谷の川の向こう側。岩壁の中にパイプがささっていた。そこから,源泉は”ます湯”を通り露天に行く。ます湯から溢れた湯は,惜しげもなく川の流れに落ちていた。

 そろそろ時間だ。宿の前を通り,崖の細い道を下り,吊り橋を渡る。マイクロバスが待っていてくれた。30代カップル。家族連れ。ボクタチの他に,後から露天にやって来た青年が乗り込んだ。やっぱり,下の駐車場から歩いてきた みたい。出発〜!マイクロバスは,トコトコ来た道を下りだした。運転手のオジサンは,「みなさん。混浴に入りましたか?」と聞く。オジサン曰く。混浴に入る人は,必ず若い人であり,オバサンは,決まって女湯に入るものらしい。娘が喜んで言った。「お母さん。良かったね〜」さらに,運転手のオジサンによると,最近は,露天で,女の人が彼氏もしくは夫のオールヌードを撮るのが大流行だと言う。ホントかなァ?また女子大生を見ると,ひどく感心したようにうなづいていた。
 途中,顔をゆがめながら登ってくるグループを発見。バスのみんなは,「大変だよね〜。バスに間に合わなかったんだ」とニコニコして言った。またしばらくして,グループ発見。連中,口惜しそうにこっちを見ていた。ボクタチ ,バス乗客のご機嫌は,さらによくなった。かくして,車を置いておいた駐車場に到着。狭い駐車場は,いつの間にか車でいっぱいになっていた。時間は,日曜日のお昼前。結構混むのかなぁ。
 そして,別れの時がやってくる。若者は,ひとり四駆の軽に乗り,さらに下から歩いてきた!30代カップルは,家族連れとの立派な車でいっしょに下まで降りることとなった。さらば。お風呂仲間のみんな。さらば。”姥湯”よ。

 またしても,例の道を苦労して下る。でも,来たときほどは怖くはなかった。みけねこ混浴隊は,とても満足していた。

フナフナの足

源泉は岩壁から

ます湯

バスに乗り込み出発だ

駐車場へ。別れの時

 そして,ボクタチは...

  来た道を延々と戻って,飯坂温泉に戻ったのは,12時半頃だった。
 国道13号からフルーツラインへ右折することにした。このフルーツラインは,名前のとおり果樹園がいっぱいある道。ボクタチの考えでは,福島のサクランボを見てみようってわけ。しかし,福島県のサクランボ園の木には,ろくすぽクランボの実もついておらず,サクランボ狩りをする人は,ハシゴに登って,猿(ましら)の如くサクランボを取っていた。こりゃ,一個食べるのも大変で,死の危険性と隣り合わせておる。その上,入園料がなんと30分限り!で1,500円もする。高速で,たったの1時間半離れた山形県とは大違いである。直売所も見たが,やっぱり,サクランボは相当高い。ウーン・・・山形でもっと買っておけば良かった。でも,しょうがないので,親父用に2千円の箱入りを買った。お留守のお礼なのだ。
 そろそろ,お昼を食べなくちゃ。フルーツラインを後に左に曲がって,福島市街に向かうこととした。”るるぶ福島”によれば,福島市内にウマソウなラーメン屋があると書いてある。彼女と相談すると,すぐ行ってみることに話はまとまった。ボクタチって,ラーメン大好きなのだ。そこは,駅の東口からちょっと北の方に5分ほど行った”佐川”ってお店。そこで支那そばラーメンを食す。お値段据え置きの380円。昔ながらのラーメン屋って感じのお店。くせのない醤油ラーメンの味は,なんだかとても懐かしい感じがした。
 もう,帰る時がやってきたような気がする。十分楽しんだし,もはやこれ以上はないだろうと感じられた。ボクタチの今回の旅はここまで。そして...福島西ICから東北自動車道に乗って,我が家へと帰る・・・みけねこサクランボ隊の冒険はこうして終わった。

 サクランボ。実にうまかったなぁ。来年も絶対来よう。温泉も楽しかった。今度はもっと先の出羽三山にまで行ってみたいなぁ。
 そして,ボクタチは次の旅へと思いをはせた...

 

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