栃木県の温泉!

茶臼岳に登る


那須町
高雄温泉 栃木県那須郡那須町那須湯本 日帰温泉  
硫化水素泉,40度? 露3(混浴) 24時間 無料

H:「高雄温泉って知ってる?」
M:「うん。知ってるよ。那須の秘湯でしょ。ずっと前テレビでやってた。温泉が自噴してて,タダで入れるんだってね」
H:「そこ,混浴だってさ」
M:「フーン。でも,ボクの混浴経験だと,若い女性は水着を着てくるし,たまに着てない女性は,80歳を下回ることはないもんさ」
H:「雑誌によると,なんでも,スッチーとか,レースクイーンが,ドサタリ入りにくるらしいよ」
M:「なんだって!!!でも,どうせ水着着てるよね。レースクイーンはレオタード持ってるし」
H:「レオタードも脱いじゃうんだって」
M:「ふしだらなっ!まあ,レースクイーンは仕方ないか...普段から,薄着だし。しかし,乗客の命を預かる職業のスッチーは,まさか水着を着るだろう?」
H:「それが,高雄温泉じゃ,GALの制服だろうがANA開きパンツだろうが,ポイポイ恥ずかしげもなく脱いじゃうらしいんだよ」
M:「ほほう」

 MとHは,顔を見合わせて,ニンマリ笑った。

 と言う会話が交わされたのは,遙かな過去だった。もちろん,Mは,みけねこのこと。 みけねこは,この会話を長い間忘れることはなかった...そして,夕べ,行きたい気持ちついに抑え難く,彼女に,こう宣言したのである。「明日早起きして,高雄温泉ってトコに行ってみよう! 知ってる?すごい秘湯なんだ!

鳥居手前を左折

狭い交差点を右折

そして,山道をひたすら走る

焼け焦げた木のゲート

 そして,今日がやって来た。──秘湯。”高雄温泉”。なぜ秘湯なのか?

 那須湯本温泉の温泉街を過ぎる頃,左手に大きな鳥居が現れる。那須湯本神社の鳥居だ。その手前の細い道を左折。そして,300メートルほど先の交差点 (「十石荘」の看板がある)を右折。 もちろん,高雄温泉の看板もなく,かなり分かりづらい。なんとか車同士がすれ違えるくらいの幅の狭い道(一応舗装されている)をひたすら直進する。次第に山奥っぽい雰囲気となるが,心を強く持ちながら進む (2キロ弱)と,やがて,焼け焦げた木のゲートが現れ,その奥が広い砂利の駐車場のようになっている...

 武雄温泉は,別名「武雄股温泉」とも言われ,古くは「お行の湯」として神聖視された。湯貝と呼ばれる巻貝が生息するとされる。那須七湯のひとつであるが・・・ある意味有名(実際,キャンパー達がキャンプを張り,日帰り入浴者が後を絶たずに次々とやってくる)であるが,ある意味公的なガイドブックなどではまったく紹介されない無名の温泉。それは何故か。
 ボクは,いろいろと,ネットで調べたのだが,ようやく,分かったことは次のことだけで,詳細はまったく分からなかった。いつ旅館は消失したのか?所有者は誰なのだろうか・・・?

 昔,ここに一軒宿の温泉旅館があった。昭和天皇が皇太子時代に訪れたともされるので,ある程度は名のある旅館だったのだろう。ところが,十年〜何十年か前,その旅館が火事で消失してしまった。残ったのは,荒れ果てた野天の跡のみ。いつしか,地元の有志がその野天を少しずつ復旧したのである。石を組んで,温泉の川をせき止めて・・・そして,人知れず,一部の人のみが利用する無料の温泉は,次第に口コミで,広がっていった。
 次第に,多くの人が。連休などには,あまりに多くの人たちが,訪れるようになったのだが,例によって,平気でゴミを捨て散らかしていく心ない入浴者やキャンパーたちが後をたたな かった。そう。ここは私有地であり,土地所有者の善意と地元の有志の努力で維持されている温泉なのに。

 ここは,公的な場所でも,営業の場所でもない(もちろん,そこにだってゴミを撒き散らしてはいけないのだが,それも理解出来ない自己虫が多い)。わがままな自己虫が増殖し続けると,地元の人々の善意だって,無限ではないのだ。
 だから・・・ここは,マナーを心得た少数の知っている人が知っていれば良い・・・そんな風に,地元の人も役場の人も,そう思っている。ここを観光地化して集客しようという気はまったくない。公的ガイドブックにも紹介されず,案内標識もない理由もそこにある。(そこで,詳しく,上に案内と写真を載せたわけです。これを読む人は,みなマナーを遵守する方々ですもの)
 秘湯だけど,アクセスのやけに良い秘湯。でも,これは,紛れもなく秘湯じゃないか!

突き当たりは,ドロドロの広場

右手にドロドロの道。こっちかな?

 駐車場となる広場は,たぶん旅館跡地であろう。30台以上は置けそうなその土と砂利の広場には,すでに7・8台の車があった。先ほどまでの雨で(今,降り止んだばかり),ドロドロとぬかっていたが,キャンプをしてるらしい若者もいる。ボクは,期待に胸ふくらませて,グフフと言いながら,パルパル号をハジッコに停めた。さて,露天はどこだろう?右手に, やっぱり,ドロドロとぬかった道が続いている。
 ボクタチは,右手の道を歩き出した。そちらの奥の方にも車が3台ほど止まっていたが,かなりの凹凸があり,エアロパーツとか,シャコタンの車ではとても無理だろう。
 おっ。向こうの車の脇に,浅黒いケツが見える。モゾモゾと,パンツを履こうとしてるらしい。どこぞの野郎めのケツだ。 どうせなら,百合の花のような可憐なオシリを見たいものだと思ってよく見てみたら,車の中では,(よく見えないが)若い女性がモゾモゾ着替えているみたい。ボクは,また,グフフと言った。露天には,スッチーとか,レースクイーンとかいるのだろうか?グフフ... みけねこは,歓喜の含み笑いをした。

 やがて,硫黄臭が漂ってきた。やっぱり,右の道の奥,突き当たりから,ちょっと坂を登ったところに露天を発見す。そして,蕩々と流れる小さな温泉の川・・・ボクタチは,早足で登っていく。湯船は階段状に三つあり,下から,小さな丸い露天が縦に二つ。一番上に大きな四角い露天が一つ。しかし ,(地元の有志が整備した)脱衣所の棚と脱いだ服を入れるカゴはあったが,囲いなど何もなく,まさに丸見え状態である。彼女が「イヤ〜ン」とむずかった。茂みを探したが,これも満足のいく茂みはナシ。やむなく,パルパル号を (ドロドロ凸凹に道を苦労して)近くまでもってきて,車の陰で着替えることにする。

上の露天。かなりの広さだ

上の露天より。木の吸い殻入れがある

 上の広い露天に,男性4人。女性1人。真ん中の露天に,夫婦らしきカップル一組。上の露天の女性は,かなりの年輩である。スッチーだったにしても,30年以上は前に違いない。クソー。(しかも,すぐ出ちゃった)真ん中の露天の女性は,塾年であり,レースクイーンだったにしても,本田宗一郎が鈴鹿サーキットを設立した頃よりは,絶対前だろう。しかも,信じられないことに水着を着ておった・・・

 まずは,上の広い露天へ。うわー。キモチイイ。30人くらいは入れる広さの透明な感じの湯には,細かい湯ノ花がいっぱい浮かんでいる。透明に見えたり,エメラルドグリーンに見えたりだ。下は,細かい砂利で,これまた気持ちいい。温度はやや温めで(40度くらいだとはされるが),冬はどうかと思うが,ゆっくり長く入っているのに良い。常連らしいオジサンが,1時間はゆっくり入っているといいと話していた。これが,ロハですぞ!アロ〜ハ〜

下を見下ろす。パルパル号が見える

一番下の露天より

 次に下の露天へ行ってみよう。真ん中の露天は,熟年カップルがウットリしているので,一番下の露天。一番上の湯船からの余り湯が打たせ湯のように流れてきている。真っ白な源泉の流れも混じる。こちらは,白濁した湯である (空気に触れている時間が長いせいだろうか?)。石に湯ノ花がこびりついていて,真っ白でヌルヌルだ。成分が圧縮された感じ。イイネーイイネー。彼女は,こっちの方が気に入ったみたい。

 若者が二人,偵察にやってきて,また車に戻って,チャプンと入りにきた。ガテンの親方と弟子三名がやってきて,ボチョンと入る。親方は,弟子達の若々しい姿態を目を細めて眺めている。次に家族連れがやってきた。オトコノコ二人に夫婦,オバアサンだ。男の子達は,さっさと脱いで入っちゃったが,夫婦とオバアサンは,バスタオルを入れた透明なバックを持って,困ったようにウロウロしている。着替えるところがないのだ・・・長い間,茂みを探した挙げ句,あきらめちゃったみたい。お父さんは,足だけ,真ん中の露天にポチャンと入れた。足湯のつもり らしいぞ。ペローンと脱いじゃえばいいのにね。モッタイナイ!
 そしてまた,若者たちが・・・みな,続々とやってきて,上の露天へ。増えてきた増えてきた。一番下の露天はボクタチで貸し切り状態ですけどね。

 「さて,もう出ようか」──名残惜しい思いで,ボクタチは,武雄温泉を後にした。スッチーもレースクイーンにも出会えなかったけど (それどころか,女性の姿は,最初の老年・熟年のお二方と彼女ダケ)・・・きっと,今日はたまたま用事 (レースとか)でもあったのかもしれないや。

 帰りながら,振り返ったボクの目に入ったのは,「ゴミは持ち帰ろう」と書かれた看板の下に捨てられた,いくつものポリ袋だった。(02.7.6)